みんなのふるさとこぼれ話99 南多摩郡桑田村

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ページID1031782  更新日 令和8年9月24日

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南多摩郡桑田村役場の押印の写真
 桑田村役場の印

 明治22年(1889)4月1日、市制・町村制が施行され、現在の日野市域に、日野宿(明治26年6月19日に日野町と改称)、桑田村、七生村の3つの村が誕生しました。それまでの豊田、川辺堀之内、上田(かみだ)、宮、下田(しもだ)、万願寺、石田、新井の8か村が桑田村の範囲となりました。桑田村という名称がどのように決められたのか分かっていませんが、米作と養蚕を主要な産業とする村であることが一目瞭然です。

 桑田村会の選挙により、村長は万願寺の斎藤文太郎、助役は川辺堀之内の増田紋之助がつとめることになりました。明治31年(1898)5月からの一年間は、増田が斎藤に代わり村長をつとめましたが、桑田村はこの二人のコンビネーションによって支えられていました。

 村役場は、はじめ川辺堀之内の延命寺におかれましたが、延命寺が火災にあい、一時助役の増田紋之助の屋敷に仮役場をおいた後、上田173番付近に村役場を新設し、移転しました。
 明治29年(1896)から赤痢が大流行し、翌年、各市町村に伝染病院または隔離病舎を建設することが義務付けられると、桑田村と日野町は共同で隔離病舎を建設・運営することになりました。

 しだいに日野町と桑田村との合併について話し合われるようになり、明治33年(1900)、両町村会で、桑田村の名称を廃止し、日野町に統一することが議決されました。日野町の町長日野義順と桑田村の村長斎藤文太郎の連名で町村合併を上申し、内務大臣の認可を受けて、明治34年(1901)3月31日、日野町と桑田村は合併し、新しい日野町が誕生しました。その少し前、2月22日には桑田村で初となる鉄道の駅「豊田停車場」が開業したばかりでした。

 桑田村には、西に豊田尋常小学校、東に下田尋常小学校(現在の日野第四小学校)の二つの小学校がありました。後に明治41年(1908)、両校は日野尋常高等小学校に合併し、それぞれ分教場となりました。

 桑田村はわずか12年しか存在しない村でしたが、多くの歴史が残されています。

広報ひの 令和8年(2026)10月号 掲載

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