みんなのふるさとこぼれ話91 八王子千人同心組頭の家
明治26年(1893)2月26日の夕方、日野宿の下町を中心に54戸を焼く大火がありました。屋号「オオシモ」こと溝呂木次右衛門家も焼けたため、3月にかつての八王子千人組組屋敷にあったかやぶきの木造建家1棟を金五十円で買い取りました。売主は塩野金吾といい、その家は代々八王子千人同心組頭を務めた塩野家の建物でした。
金吾の曽祖父である塩野適斎は、千人同心たちに学問や剣術を教授した文武両道の人物で、幕府の地誌編さんにも携わり、「桑都日記」などを著しました。適斎は文化13年(1816)に日野宿の古谷平右衛門の妹すまを後妻に迎えました。また、適斎の子光寿も日野宿の枝郷東光寺から側室を迎えました。そうした縁で塩野家の人びとは、たびたび日野宿を訪れていました。
金吾は明治21年(1888)に帝国大学を卒業し、陸軍の病院で医者をしていました。明治25年に眼病にかかったのを機に八王子へ帰り、地元の要望で医術を開業予定であると、同26年12月発行の『三多摩郡人物評』に書かれています。溝呂木家が塩野家の家作をどういういきさつで買ったかは分かっていませんが、まさにこの時期に売買がなされています。金吾はその後横浜に住み、明治36年(1903)に亡くなりました。
平成5年(1993)、小金井公園内に江戸東京たてもの園が開園するとき、溝呂木家から移築された建物が江戸時代の形に復元されて、現在は「八王子千人同心組頭の家」として公開されています。
広報ひの 令和8年(2026)1月号 掲載
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