みんなのふるさとこぼれ話94 万願寺はどこにある?
よく、「万願寺」という寺はどこにあるのか?と質問を受けますが、現在、市内に「万願寺」という寺はありません。万願寺は、江戸時代には万願寺村という独立した村の名前でした。文化・文政年間(1804-1830)に徳川幕府によって編さんされた『新編武蔵風土記稿』にも、万願寺村の村名について、かつてここに寺があったと思われるが、古い書物に見当たらず分からない、と書かれています。200年前にはすでに万願寺の由来は分からなくなっていたのです。なお、多摩川対岸の立川市柴崎町にも「満願寺跡」がありますが、関係は分かっていません。
かつては隣接しあう下田村と万願寺村の辺りを「田村万願寺(田万)」と呼び、日野本郷という村の枝郷の一つである「日野万願寺(日野万)」とは区別されていました。
明治22年(1889)4月、万願寺村を含む豊田、川辺堀之内、上田、宮、下田、新井、石田の8カ村が合併して「桑田村」となり、さらに明治34年(1901)日野町に合併しました。
昭和56年(1981)1月に事業決定された万願寺土地区画整理事業は、平成16年(2004)8月7日に終わり、町名地番変更が施行されました。このとき新たに万願寺一丁目~六丁目と石田一丁目~二丁目が誕生しました。一方で「下田」の地名は消え、「新井」もほぼ浅川南岸に残るのみとなりました(令和2年(2020)11月、新井一丁目から三丁目が誕生)。
慶長年間(1596-1615)に開設された甲州道中は、府中から段丘下を通る道筋で、洪水の被害をよく受けました。慶安年間(1648-1652)に段丘上を通る道筋へと変更され、現在の中央高速自動車道多摩川橋のやや上流付近に万願寺の渡しが設けられました。さらに、貞享元年(1684)にも道筋が変更され、現・立日橋付近に日野の渡しが置かれました。その後も万願寺の渡しは、作場渡しとして地元の人びとに利用されてきましたが、大正15年(1926)の日野橋開通により廃止されました。なお、万願寺の一里塚は旧甲州道中に作られた一里塚です。
広報ひの 令和8年(2026)5月号 掲載
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