みんなのふるさとこぼれ話78 汗をかくお不動様
日野市高幡にある高幡山明王院金剛寺の不動堂には、平安時代から不動明王坐像が安置され「高幡不動尊」と親しまれ、信仰を集めてきました。このお不動様が「汗をかく」という伝説をご存じでしょうか。
現在は平地にある不動堂は、かつては裏山の山上にありました。建武2(1335)年8月4日の台風で破損し、不動明王像も山上から転げ落ちたと伝えられています。不動堂は康永元(1342)年に山下に再建され、現在に至っています。
応永22(1415)年に、金剛寺の僧侶だった乗海(じょうかい)が、元の山上に不動堂を戻したいと考え、勧進(寄付を募る事)を志しました。金剛寺には、この時の勧進帳(国指定重要文化財)が残されています。勧進帳の文案は、当時文筆家として有名だった、深大寺(じんだいじ)(調布市)の僧長弁(ちょうべん)が作成したものです。この中に不動明王の霊験を示す例として、「岩殿山の合戦」「河越没落」など、いくつかの南北朝・室町初期の戦乱に際して、不動明王像が汗を流して奇瑞(きずい)をあらわしたことが記されています。出陣に際し不動堂で戦勝祈願を行った在地の武士たちは、お護摩の炎の向こうで、だらだらと汗を流す不動明王を見て、勝利を確信したことでしょう。
汗を流す仏像の例は、全国各地に伝えられています。阿弥陀如来や観音菩薩などさまざまですが、地蔵の例が多いそうです。汗をかくことで、災害や凶事などの異変を知らせ、吉兆を教えてくれたりします。江戸時代以降の例が多く、現代のものもあります。高幡不動の事例は、かなり古い時代のものと言えるでしょう。
現在も不動堂は山の下にあるので、乗海の勧進は実現しなかったようです。その後の度重なる戦乱が原因と言われています。
勧進帳の文案は、長弁が自らの作品を綴った『私案抄(しあんしょう)』にも掲載されています。また、汗かき不動のことは江戸時代後期の国学者で、小山田村(町田市)出身の高田(小山田)与清(ともきよ)の随筆『松屋筆記(まつのやひっき)』でも触れられています。「高幡不動尊縁起」を執筆している与清は、高幡不動の歴史に詳しかったのでしょう。『日野市史史料集 古代・中世編』に全文が翻刻されています。
なお、現在不動堂に安置されている不動明王像は、平成12(2000)年から14年にかけて行われた修復の際に建立された「身代り丈六不動明王坐像」で、本来の不動明王坐像は奥殿に安置されています。
広報ひの 令和6年(2024)9月号 掲載
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