みんなのふるさとこぼれ話83 「お茶屋の松」今昔

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ページID1028190  更新日 令和7年2月25日

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3代目お茶屋の松と説明板の写真
3代目お茶屋の松と説明板

 お茶屋の松は、日野市境の八王子市小宮町141番地1にあり、現在の松は3代目です。

 戦国時代末期の永禄10年(1567)、佐藤隼人が北條氏照公から罪人をもらい、この地に日野用水を開削しました。この時に地元東光寺の人々が茶屋を設け、主計(かずえ)という人物が松を植えたということが、「挨拶目録」という、隼人の子孫で日野宿の上名主をつとめた佐藤家に伝わる史料に書かれています。

 お茶屋の松は、寛政2年(1790)や文政12年(1829)の「日野本郷村絵図」にも記されており、この地に長きにわたり存在していたことがわかります。

 小宮町付近(旧粟ノ須村・石川村など)では、この松の事を「落合(おちあい)の松」とも称します。この場所が、日野から秋留方向へ通じる国府道(現滝山街道)と、南方由木方面へ向かう道との交差点近くにあり、その道しるべの役割をはたしていたので、そう呼ばれたようです。北條氏照と武田信玄が落ち合ったなど、さまざまな言い伝えが残っています。

 文化6年(1809)の『調布日記』(大田南畝)には、お茶屋の松という古木があったが枯れてしまい、伊奈代官の時代(寛政4(1792)年以前)に新たに植えられたという記述があります。これが2代目の松で、昭和39年(1964)には八王子市の天然記念物に指定され、説明板が立てられていました。目通り幹囲3メートル、枝の張り20メートル、高さ6メートル、樹齢はおよそ250年とあります。

 昭和53年(1978)にはこの松も枯れてしまい、昭和60年(1985)地元小宮町会の方々のご尽力により新しい松が植えられ、現在に至っています。松の植えられている場所は、「富士レビオ」という製薬会社の八王子工場の敷地に隣接していて、長く同社が剪定などの管理をしていました。令和5年(2023)、富士レビオがこの地から撤退することになり、「お茶屋の松」の今昔が不明になってしまうことを危惧した「日野宿発見隊」と協力者の方々の尽力により、令和6年(2024)2月に説明板が設置されました。小宮町会のご理解の賜物でもあります。

 松の場所は日野市域ではありませんが、日野の人々にも関わりが深かったお茶屋の松のことを、皆さまの記憶にとどめておいていただきたいものです。詳細は、日野宿発見隊ホームページをご覧ください。

広報ひの 令和7年(2025)3月号 掲載

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