みんなのふるさとこぼれ話64  関東大震災から100年

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ページID1023959  更新日 令和5年7月24日

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みんなのふるさとこぼれ話64

関東大震災から100年

関東大震災の被害の地割れの写真
関東大震災の被害の様子。現・豊田4丁目。道路が地割れを起こし、半鐘をかけた梯子が傾いている。
(山口高央家所蔵)

 大正12年(1923)9月1日午前11時58分、関東地方でマグニチュード7.9の地震が発生しました。この日は土曜日で、日野町では八坂神社の祭礼の準備をしている最中でした。屋根瓦や土蔵の土壁が落ちてしまう被害が多く出ました。

 高幡山金剛寺では仁王門が半倒壊し、屋根瓦も全て落ちてしまいました。この年に木造から鋼桁橋に架け替えたばかりの高幡橋も、橋台にひびが入り、橋桁の鉄筋がむき出しになってしまいました。

 空には奇妙な白い雲が見えたといいます。激しい余震に人々がおびえる中、朝鮮人が暴動を起こしたなどという流言飛語が9月2日の夕方から飛び交い始め、青年団や在郷軍人会などが警備にあたりました。

 9月3日に東京府と神奈川県全域に戒厳令が発布されました。警察から、流言飛語を広める者は厳罰に処すなどの通達が出され、少しずつ人心も落ち着いていきました。

 日野尋常高等小学校は6日まで臨時休校となりました。

 不通になっていた中央線は9月4日に運転再開し、屋根の上まで避難する人でいっぱいだったといいます。5日に新聞が届き、東京や横浜の被害の大きさを知ることになりました。待望の電灯は7日から一部送電開始され、1戸につき1灯のみの制限付きでしたが、久しぶりに灯りのある夜を迎えることができました。

 日野町・七生村とも、地震による死者はなかったと報告されています。しかし、東京や横浜にいた家族を亡くした人もいたことでしょう。

 関東大震災に関する役場の記録が『日野市史史料集 近代2』に掲載されていますので、興味のある方はご覧ください。

広報ひの 令和5年(2023年)6月号 掲載 (詳細版)

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