みんなのふるさとこぼれ話69 野村千春「ストーブをかこむ」をめぐって

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ページID1024989  更新日 令和5年10月30日

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みんなのふるさとこぼれ話69

野村千春「ストーブをかこむ」をめぐって

野村千春が描いた「ストーブをかこむ」の画像
野村千春「ストーブをかこむ」(諏訪市美術館所蔵)

 野村千春が、昭和15年(1940)の第18回春陽会展に出品して入選作となった「若い人達(後に「ストーブをかこむ」と改題)」(50号)という作品があります。2人の若い男性が、ストーブを囲んで椅子に座っている構図です。

 平成26年(2014)10月に、諏訪市美術館でこの絵を長女の中川やよひさんと見た時のことです。やよひさんが、「この絵のモデルは新美南吉だって、お母さんが言っていた」と話してくれました。今までそのように書いてあるものは見つけられていませんでした。2人いるので、「どちらが南吉ですか」と尋ねたら、「両方ともだそうよ」といわれました。

 新美南吉が、東京外国語学校(東京外国語大学)の学生だった頃、中野区上高田の巽聖歌の家を毎日のように訪れて、家族同然の暮らしをしていました。日記などを見ると、たびたび千春のデッサンのモデルを務めていたことが記されています。1枚くらい南吉の絵があってもよさそうだと思っていましたので、やよひさんの話は、大変興味深いものでした。

 昭和15年4月17日付の南吉から聖歌夫妻に宛てたはがきには、「「若い人」の絵はがきをいただいてありがとう」という文面があります。当時安城高等女学校の教師だった南吉は、3月27日に東京の聖歌宅を訪れ、この絵を見たことが日記に記されています。ただ、この時南吉は自分がモデルだという事は知らされていないようで、日記は「吉田次郎の弟という学生」がモデルという風に受け取れる文面です。さらに「ひとりのモデルを2度に使って、ふたりの人間がいるように描く方法はおもしろいなと思った」と記されています。この絵がとても気に入った南吉は、春陽会展の入選結果を心待ちにしており、先述のはがきは、その入選を喜ぶ内容です。

 絵には何も注記がなく、やよひさんも亡くなった今、これ以上には確かめようがありませんが、千春にとっても思い出深い入選作品なので、記憶違いを話すということも考えにくいのです。公開中の巽聖歌没後50年記念展(12月10日まで)では、この作品を諏訪市美術館から借用して展示しています。瘦身の風貌は、南吉だと言われればそのようにも見えてしまいますが、果たしてモデルは誰なのか。めったにない機会なので、実際にご覧いただきたいと思います。

 家庭を持ち子育てもしながら、プロの画家として活躍し、大病をした時には親身になって看病もしてくれた千春を、南吉は大変敬愛していました。2人にとって、この絵が思い出深い作品であったことは確かなのではないでしょうか。

広報ひの 令和5年(2023年)11月号 掲載

巽聖歌没後50年記念展として、令和5年12月10日まで、特別展「童謡詩人 巽聖歌」を、日野市立新選組のふるさと歴史館にて開催しています。 

 

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