みんなのふるさとこぼれ話73 佐藤湘洋の碑

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ページID1025735  更新日 令和6年2月26日

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佐藤湘陽の肖像と石碑の写真
佐藤湘陽(『潤徳百年史』より)と石碑(落川 真照寺)

佐藤湘陽は通称良輔、諱(いみな)は博敏、相模国高座郡田名村(神奈川県相模原市)に生まれました。明治8年(1875)田名小学校の教員から始まり、明治12年10月、落川村にあった昭景学校の校長となりました。

昭景学校は、明治8年に潤徳分学校として始まりましたが、明治9年12月に真照寺本堂を校舎として開校し、落川村、百草村、一ノ宮村(多摩市)を通学区域としました。明治21年に昭景尋常小学校となり、明治29年12月に落川943番地に校舎を新築し移転しました。明治42年5月廃校となり、以後は潤徳尋常高等小学校の落川分教場となりました。(昭和41年落川分校廃止)。

佐藤先生は、明治12年から36年1月まで昭景学校の校長を、続いて明治42年4月まで潤徳小学校の校長をつとめました。また、学校を卒業した人たちにも漢籍、書、国学、詩歌や農業や養蚕など多くのことを教えました。大正5年(1916)12月9日、63歳のとき、風邪をこじらせて落川の地で亡くなりました。

門弟たちは、長きにわたり七生村で人々の教育に貢献してきた師の功績を称えようと、頌(しょう)徳(とく)碑(ひ)の建立を計画しました。大正6年9月に真照寺住職野村宥慶らを発起人として、東京府知事宛てに碑の建立願が出され、大正7年3月、真照寺境内に碑が建てられました。篆(てん)額(がく)を岡田良平、撰文を千家(せんけ)尊(たか)福(とみ)、書を本田定寿(さだとし)(石庵)に依頼し、台座含め高さ約3メートルに及ぶ大きな碑です。

広報ひの 令和6年(2024)3月号 掲載

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