みんなのふるさとこぼれ話65 夏の土用 

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ページID1024073  更新日 令和5年6月26日

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みんなのふるさとこぼれ話65

夏の土用

石田散薬作りの写真
石田散薬作りを再現する体験学習会の様子。焙烙を使ってミゾソバを黒焼きにしているところ

 土用とは、季節の変わり目となる立春・立夏・立秋・立冬の前の約18日間を指し、年に4回ありますが有名なのは夏の土用でしょう。夏の土用の丑の日に(うなぎ)を食べる風習は、江戸時代に平賀源内が鰻屋の売上アップのために作ったキャッチコピーが元との説があります。しかし日野の四谷地区(栄町)は、古くから鰻を食べない集落として知られています。それは昔、多摩川の土堤にあいた穴に、虚空蔵菩薩の使いである鰻が身を投じて、堤防の決壊から村を救ったという伝説にちなみます。

 石田の土方歳三の生家では、夏の土用に河原で刈り取ったミゾソバを原料に、「石田散薬」という黒焼きの薬を製造・販売していました。夏の土用に草取りをしたのは、草の勢いが最も強く薬効が高まるとされたためですが、村中総出で河原に繁茂する草刈りを行うことは合理的ともいえます。

 下田(現・万願寺)の安養寺では、夏の土用の丑の日に、焙烙(ほうろく)(きゅう)が行われていたといいます。頭に焙烙という素焼きの皿を載せ、そこに(もぐさ)をおいて灸を点じるもので、頭痛を癒す一種の(まじな)いです。また、この時に患部に胡瓜(きゅうり)をあてて(まじな)いをすることも行われました。その胡瓜は家に持ち帰って捨てるのだそうです。昭和8年(1933)に教員たちが中心となって調査・執筆した『日野町郷土記』の中に書かれていますが、戦後は行われなくなり、知る人もほとんどいなくなりました。

 土用の丑には鰻以外にも「う」のつく食べ物を食べると病気にならないともいわれますので、栄養をつけて夏バテ防止をしたいものです。

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