みんなのふるさとこぼれ話68 巽聖歌と野村千春~日野に転居して創られた作品

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ページID1024626  更新日 令和5年9月28日

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みんなのふるさとこぼれ話68

巽聖歌と野村千春~日野に転居して創られた作品

巽聖歌と野村千春の写真
日野の自宅の庭での巽聖歌夫妻

 巽聖歌は、昭和19年(1944)から、ふるさとである紫波町(岩手県)に近い沼宮内町(岩手郡岩手町)に疎開していましたが、知人の紹介で昭和23年(1948)10月、家族と共に日野町東大助(現日野市旭が丘)にやって来ました。当時の旭が丘は、八王子競馬場の他は家もまばらで、畑が広がっていました。

 自然豊かな紫波町で育った聖歌にとっては、雑木林が点在し農村風景が色濃く残る旭が丘は、願ってもない環境だったことでしょう。ヤギやヒツジを飼い、庭先に畑を作り、画家である妻の野村千春は、野草を摘んで食卓を賑わせました。

 聖歌は、昭和48年4月に亡くなるまでの25年間を旭が丘に暮らしました。児童文学者として活動を続ける傍ら、若くして亡くなった新美南吉の作品をまとめた『新美南吉童話全集』『新美南吉全集』を刊行し、無名だった新美南吉が、日本を代表する童話作家と認められることとなりました。

 聖歌の作品には、転居当時の旭が丘の様子や競馬場を題材にしたもの、多摩平団地建設に伴って開発されていく様子などが残されています。また妻の野村千春も、当時の日野の風景を描いた作品を遺しています。

 令和5年10月7日(土曜日)~12月10日(日曜日)に開催の「日野市市制施行60周年 巽聖歌没後50年特別展「童謡詩人 巽聖歌~児童文学に生きた、ひとすじの道~」では、野村千春が日野を描いた作品や、新美南吉をモデルにしたと伝えられる戦前の作品「ストーブをかこむ」(諏訪市立美術館蔵)も展示します。これらの野村千春の作品が日野で公開されるのは初めてのことで、巽聖歌没後50年という節目の展示でようやく実現することが出来ました。聖歌の作品の歩みとともに、ぜひご覧ください。

広報ひの 令和5年(2023年)10月号 掲載

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