みんなのふるさとこぼれ話70 金子みすゞと巽聖歌

このページの情報をツイッターでツイートできます
このページの情報をフェイスブックでシェアできます
このページの情報をラインでシェアできます

ページID1025118  更新日 令和5年11月20日

印刷 大きな文字で印刷

みんなのふるさとこぼれ話70

金子みすゞと巽聖歌

金子みすゞの住所が出ている『大正14年日記』知友一覧写真
金子みすゞの住所が出ている『大正14年日記』知友一覧

 金子みすゞ(1903-1930)は、山口県大津郡仙崎村(長門市)に生まれ、巽聖歌より2歳年上です。女学生のころから童謡を書き始め、西條八十に認められ、『童話』『金の星』『赤い鳥』などに作品を発表。同世代の投稿詩人の憧れの存在だったと言われています。

 巽聖歌との交流の記録は残っていませんが、聖歌の大正14年(1925)の日記の巻末にある「知友一覧」(住所録)に「山口県仙崎町金子文□堂 金子みすゞ」の名前があります。「金子文□堂」は、仙崎で金子家が営んでいた書店「金子文英堂」のことだと思われます。

 『童話』大正14年10月号には、みすゞの「去年のけふ」と聖歌の「松雀・松の穂」が同時に掲載されており、このほかにもいくつかの童謡雑誌に二人の作品が一緒に掲載されています。また、みすゞがお気に入りの作品をまとめて編集した『琅玕(ろうかん)集』には、聖歌の代表作「水口」が掲載されています。お互いのことを知っていて、その作品を認めていたことがわかります。

 昭和5年(1930)26歳で早世した後は、みすゞの作品は次第に忘れられた存在となってしまいました。昭和50年代の後半に作家の矢崎節夫が再発見して全集を刊行、今では知らない人がいないほど、その作品は多くの人に愛されています。

 令和5年10月3日~11月15日まで、仙崎の金子みすゞ記念館では、「みすゞと同世代の童謡詩人」という展覧会が開催され、島田忠夫・佐藤義美などとともに巽聖歌のことも取り上げられました。記念館の方に日記の「知友一覧」ことを紹介したら、同時代の数少ない資料だと喜んでいただきました。みすゞは、大正12年(1923)4月から下関に移り住んでいるので、聖歌が仙崎の住所を知っていたということは、それよりも前から交流があったことを示しているのかもしれません。

 昭和29年(1954)に巽聖歌の編集で刊行された『日本幼年童話全集』7童謡編(河出書房)には、「おとむらいの日」「たいりょう」など、みすゞの作品が10編掲載されています。戦後初めてみすゞの作品が取り上げられた童謡集です。みすゞ再評価の30年前に、聖歌は金子みすゞの作品を、多くの人に読んでもらいたいと思っていたことがわかります。

広報ひの 令和5年(2023年)12月号 掲載

巽聖歌没後50年記念展として、令和5年12月10日まで、特別展「童謡詩人 巽聖歌」を、日野市立新選組のふるさと歴史館にて開催しています。 

このページに関するお問い合わせ

教育部 郷土資料館
直通電話:042-592-0981
ファクス:042-594-1915
〒191-0042
東京都日野市程久保550
教育部郷土資料館へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。