みんなのふるさとこぼれ話79 十二天社と下田学校
下田八幡神社(万願寺四丁目)の境内に合祀されている十二天社は、かつては下田199・200番地(現・石田二丁目12)にありました。十二天とは、仏教の護法善神である、8つの方角を護る神と天地日月の4天の12天を指します。
明治5年(1872)の「下田村誌」には、ご神体は無く、創建時期などは不明としながらも、古くは大社で、社の四方の田畑はみな社地だったと書かれています。江戸時代には八幡神社とともに安養寺の管理下にありました。
杉木立の中に東向きに仁王門がある大きな神社でしたが、あるとき火災に遭って建物がすべて焼失し、ご神体をわずかな祠に移したまま、復興されなかったと伝えられます。
明治6年、下田学校が安養寺の本堂を借りて開校しました。その後十二天社の境内地が学校用地に選ばれたので立木を伐採し、明治11年9月、下田小学校が新築されました。
日野尋常高等小学校の下田分教場になった明治末頃、多摩川の大増水で万願寺渡船場の船・橋が流され不通になりました。この時、十二天社の境内に残っていた立木をすべて伐採し、渡船の復活資金に充てたといいます。
戦後下田分校は独立して、昭和30年(1955)に日野第四小学校となり、現在地に校舎を新築し移転しました。地元では十二天社の再建を望む声もありましたが、跡地には昭和36年に町営(現市営)住宅下田団地ができました。団地の一角に、元下田分教場跡地と掘抜井戸の記念碑が建てられています。
広報ひの 令和6年(2024)10月号 掲載
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