みんなのふるさとこぼれ話62 たきびの詩人巽聖歌没後50年
みんなのふるさとこぼれ話62
たきびの詩人巽聖歌没後50年
童謡「たきび」の作詩者である巽聖歌は、昭和23年(1948)10月に家族と共に日野に居住し、後半生を日野市旭が丘で過しました。
戦後の聖歌は、新美南吉全集の刊行に尽力、「日本作文の会」の活動に参加して、綴り方や少年詩の指導者として活躍しました。
晩年には、胃や胸部の疾患に悩まされて入退院を繰り返した聖歌でし、昭和48年4月13日に日野市立病院に入院後、24日に心不全のため亡くなりました。68歳の生涯でした。
「赤い鳥文学賞」の選考委員など児童文学界の様々な役職につき、評論などの寄稿も多く、亡くなる直前まで精力的な活動を続けていたので、周囲の人々からは急逝と、驚きをもって受け取られました。
亡くなった当日の4月24日は、「首都圏国電暴動」(国鉄労組の順法闘争に反発した乗客の起こした暴動事件)のため、交通機関は大混乱していて、訃報の連絡を受けてもすぐには駈けつけられない友人・知人も多かったそうです。そのなかで、妻で洋画家の野村千春の友人だった田中紀子(日野史談会会長・歌人)がずっと病院の霊安室で付き添いをされたそうです。
27日に日野火葬場で荼毘にふされ、28日に八王子の喜福寺で告別式が行われ、同日のうちに喜福寺墓地に埋葬されました。八王子市街を一望する高台にある墓地です。告別式には、千人を超える参列者があったそうです。
毎年の命日には、「たきび会」の方々が旭が丘中央公園の「たきび詩碑」の前で「巽聖歌を偲ぶ会」を開催し、喜福寺への墓参を行なっています。聖歌のふるさと岩手県紫波町では、紫波運動公園にある「水口詩碑」の前で「碑前祭」が行われます(紫波短歌会主催)。春の遅い紫波町では、ちょうど桜が満開の季節です。
令和5年は、没後50年という記念の年で、日野市では、秋の特別展をはじめとする様々な記念事業が検討されています。また、新美南吉も、没後80年(3月)・生誕110年(7月)を迎えるほか、岩手出身の宮沢賢治も没後90年(9月)を迎えます。紫波町でも、南吉のふるさと愛知県半田市でも、関連の事業があるようです。紫波町では、巽聖歌が執筆した小学生のための伝記『宮沢賢治』の復刊も計画されています。
「巽聖歌没後50年記念事業」が、巽聖歌の作品や生涯を振り返る機会となり、日本の児童文学の世界に大きな足跡を遺した南吉・賢治の事蹟を辿るきっかけとなれば幸いです。
広報ひの 令和5年(2023年)3月号 掲載 (詳細版)
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