みんなのふるさとこぼれ話56 大阪事件記念碑

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ページID1019680  更新日 令和4年8月26日

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ふるさとこぼれ話56 大阪事件記念碑

ふるさとこぼれ話56

図版キャプション
大阪事件記念碑(横浜市鶴見区 総持寺)

明治18年(1885)、旧自由党左派の大井(けん)太郎らは、朝鮮でクーデターを起こして(しん)国との間に緊張状態を生み出し、その機に日本国内の革命を実現させようと計画しました。福島事件、加波山(かばさん)事件など相次いで起きた激化事件で敗北し、自由党解党となった困難な状況を打破しようという焦りがありました。武蔵や相模の自由民権家たちも大勢参加しました。いわゆる「大阪事件」です。

高幡村の森久保作蔵と新井村の土方房五郎は、野津田村(町田市)の村野(つね)右衛門からこの計画を聞き同意しました。しかし11月23日に計画が発覚し、大阪と長崎で逮捕者を出しました。翌19年1月に森久保と土方も嫌疑を受けて逮捕され、村野は自首し、大阪府内の留置場に送られました。

南多摩郡の旧自由党員たちは、彼らを支援しようと義捐金を集めて送りました。日野宿の高木吉造は、6月に大阪に住む小塚義太朗を介して、収監されている村野、森久保、土方に書籍代を差し入れようと動きました。同年12月27日に、森久保と土方は予審で免訴となり釈放されました(村野は軽禁錮1年)。

 神奈川県横浜市鶴見区の総持寺境内には、昭和6年(1931)に建立された「大阪事件記念碑」があります。裏面の発起人には、大正15年(1926)に亡くなった作蔵に代わり、孫の「森久保清」の名が遺族代表として記されています。同寺の境内には他に、森久保作蔵が建碑副委員長として関わった大正10年(1921)建立の「自由党追遠碑」もあります。

 

問い合わせ 郷土資料館☎592-0981

 

 

 

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産業スポーツ部 ふるさと文化財課
直通電話:042-583-5100
ファクス:042-584-5224
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