みんなのふるさとこぼれ話37 大田南畝と遠藤権兵衛

大田南畝(なんぽ)は、蜀山人(しょくさんじん)や四方赤良(よものあから)などの号で、狂歌師や戯作(げさく)者として活躍した江戸時代後期の文人ですが、本来は幕臣で、通称を直次郎といいました。文化5年(1808)暮れから翌年春にかけ、南畝は勘定奉行所の役人として、多摩川・浅川沿岸の堤川除(つつみかわよけ)御普請(ごふしん)(幕府が行う堤防工事)の検分のため、多摩地域へ出張しました。この時のことを、南畝は「調布日記」などに書き残しています。
61歳の南畝は、正月2日に日野本郷の玉屋栄蔵方に泊まり、いったん八王子方面へ向かった後、5日に豊田村の名主権兵衛宅に泊まりました。南畝は、豊田村の領主である大久保矢九郎の父が、「藤の満丸」の名で狂歌をやっていたのを、「昔知れる人」と書いています。南畝は翌6日、若宮明神に参詣してから、上田、万願寺、新井村を訪ねました。そして2月16日にも再び豊田の権兵衛宅に泊まりました。
遠藤権兵衛は、名主としての功績を認められて、大久保家から苗字帯刀(みょうじたいとう)を許された人物です。隠居した後も幕府の御普請の際に役人を泊めて、大久保家から褒美(ほうび)を与えられています。
郷土資料館が10月5日(土曜日)~12月8日(日曜日)に新選組のふるさと歴史館で開催する特別展「豊田のむかし」の中で南畝や権兵衛の話も展示しますので、ぜひご覧ください。
広報ひの 令和元年(2019)10月1日号 掲載
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