みんなのふるさとこぼれ話47

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ページID1017020  更新日 令和3年5月31日

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みんなのふるさとこぼれ話47

日野市に住んでいた作家山代 巴

山代巴の評伝 佐々木暁美『秋の蝶を生きる』の表紙画像

日野市に住んでいた作家山代(やましろ)(ともえ)

 代表作『荷車の歌』で知られる作家山代巴は、明治45年(1912)6月に、広島県で生まれました。

 女子美術専門学校(女子美術大学)で洋画を学びましたが、プロレタリア美術研究所にも入所して、社会問題に目を向けるようになります。やがて当時非合法だった共産党に入党し、炭鉱争議の指導者だった山代吉宗と結婚しました。

 昭和15年(1940)5月、山代夫妻は、治安維持法違反で検挙され、巴は懲役4年の有罪判決を受け、三次刑務所・和歌山刑務所に服役しました。昭和20年8月、敗戦の直前に病気のため釈放されましたが、広島刑務所に服役していた夫吉宗は、同年1月に獄死しました。

 困難な戦中を生き抜いた巴は、戦後は広島で農民運動や被爆者援護活動に取り組み、原水爆禁止世界平和大会開催のための100万人署名運動を行いました。

 署名集めの過程で各地の農村を訪問し、そこで知り合った一人の農婦の体験が『荷車の歌』としてまとめられました。作品は、ベストセラーとなり、農協婦人部の10円カンパで映画化されました。

 昭和43年(1968)から平成8年(1996)まで、日野市の多摩平団地に居住し、作家活動を続けました。巴が目指したものは、戦前には、自分の自由になるお金を1銭も持てなかった農村女性たちの意識改革や自立、自己表現力を持つことなどでした。

 昭和61年には、長編小説『囚われの女たち』全10巻が完結しました。山代巴の生涯を総括したともいえる自伝的作品ですが、昭和50年から取り組んだ大作です。

 平成8年に杉並に転居、16年11月に92歳で生涯を終えました。 

主な著作は『山代巴文庫』1期・2期に収められ、評伝も2冊刊行されています。また、当時の看守によって奇跡的に残された獄中書簡類が、『山代巴獄中手記・書簡集』(牧原憲夫編)として刊行されています。

 山代巴が日野に住んでいたことを知る人は、少ないのではないかと思います。女性に選挙権もなかった時代から、自らの信念を貫き、苦しみながらも、自立して生きた山代巴の生涯や作品からは、ジェンダーフリーが声高く叫ばれる現代の私たちにも、学ぶべき点や参考になることがたくさんあるのではないかと思います。郷土資料館では、今秋から小さな学習会の開催を企画しています。

 (郷土資料館)

 

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産業スポーツ部 ふるさと文化財課
直通電話:042-583-5100
ファクス:042-584-5224
〒191-0016
東京都日野市神明4丁目16番地の1
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