みんなのふるさとこぼれ話33 矢崎の庚申塔

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ページID1010895  更新日 令和6年6月11日

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矢崎の庚申塔

矢崎の庚申塔昭和41年撮影写真
昭和41年(1966)渡辺唯夫氏撮影

 長らく豊田2丁目55番地の三叉路にあった庚申塔が、昨年10月に約80m西へ移設されました。

 庚申塔は、江戸時代に農村で盛んに行われた庚申信仰から造られました。庚申信仰は、60日に一度めぐってくる庚申の日に、眠った人間の体内から出た三尸(さんし)の虫が、天帝に人間の悪行を告げて寿命が縮まると考えられていたことから、人々が集まって儀式を行い、眠らずに夜を明かすというものです。信仰を続けた記念や供養のため、各地でバラエティに富んだ庚申塔が造られました。

 矢崎の庚申塔は正面に青面金剛(しょうめんこんごう)と日月と三猿が彫られています。向かって右側面にあった銘文は、石が剥離して読めなくなっていますが、昭和58年発行の「日野市史 民俗編」によれば、享保12年(1727)11月に、豊田村矢崎に住む6人により建立されたと書かれていました。一番上にあったはずの法輪はすでに失われています。

 この庚申塔は、凝灰岩系の伊豆石のため、柔らかく加工しやすい反面、風化しやすい欠点があります。移設の際に石塔を分解したところ、石の中をくりぬいて軽量化していることが分かりました。陸路で運んだ可能性があるということです。また、庚申塔の右(向かって左)には高さ90cmを超える大きな石がありました。表面が鏡のようにツルツルで、由来は分かりませんが、庚申塔と共に移設されました。矢崎の庚申塔が、これからも人々に大切にされることを願います。

広報ひの 平成31年(2019年)2月1日号 掲載

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