みんなのふるさとこぼれ話31
みんなのふるさとこぼれ話31
若山牧水と百草園
旅と酒を愛した歌人若山牧水(1885~1928)は、百草園とゆかりの深い作家です。
早稲田大学の学生だった明治39年(1906)頃から、何度か百草園を訪れ、第1歌集『海の声』や、『別離』などに、「百草山にて」という詞書を付けた作品が収録されています。
特に明治41年4月には、恋人園出小枝子とともに訪れ、園内の茶屋に逗留しました。
まだ、京王線の前身である玉南鉄道も開通していなかった当時、百草園に行くには、日野駅から1里あまりの道のりを、歩くか人力車に乗るしかありませんでした。
残念ながらこの恋が実ることはありませんでしたが、翌42年6月~7月に再び百草園を訪れた牧水は、歌集『独り歌へる』を編集、百草園で詠った作品を43首収録しています.。
牧水が逗留した茶屋は、園内にあった3軒の茶屋の中の1軒で、石坂家が営んでいた「喜楽亭」であったと思われます。
牧水は、昭和3年9月17日、43歳の若さで病死しました。今年は、没後90年にあたります。昭和46年、百草園内に、牧水と百草園のかかわりを記録して歌碑が建てられ、「摘みてはすて摘みてはすてし野のはなの我らがあとにとほく続きぬ」など小枝子との思い出を詠った3首が刻まれています。歌碑の場所は、かつて牧水が逗留した、茶屋のあったあたりです。
広報ひの 平成30年10月1日号 掲載
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