みんなのふるさとこぼれ話41
みんなのふるさとこぼれ話41
西平山の旧撚糸(ねんし)工場
「西平山の旧撚糸(ねんし)工場」
西平山~大和田にかけての一帯には、かつて複数の撚糸工場がありました。もとは浅川からの用水で水車精(せい)穀(こく)を行っていましたが、大正時代になると、水車を利用した撚糸が行われるようになりました。
撚糸とは、生糸に撚(よ)りをかけて織物に適した糸にする作業で、撚りの強弱や糸の本数を変えることで、織物に適した強さや風合い、肌触り等をひき出しました。
撚糸工場であった建物が残る高橋糸工場は、昭和九年(一九三四)に創業し、昭和四十年初期まで撚糸業を営んでいました。はじめ自家も養蚕を行い、近隣の養蚕農家から繭を買入れて八王子の問屋に販売していましたが、その後、八王子の織物屋と縁戚になったことを契機に、その親類が撚糸工場を始めると、自家も撚糸工場を始めました。電気動力を用いた撚糸を行い、家族中心の労働に少人数の工員を雇う家内工業的な経営でした。旧撚糸工場の天井は、部材が三角形に組まれたトラス構造の骨組を持っていました。柱のない空間にはイタリー式撚糸機六台をはじめ撚糸に必要な機械が並んでいました。天井には開口の跡があり、東南西側を連装(れんそう)窓(まど)にして、糸をつなぐなど細かい作業がしやすいように明るくされていました。
西平山・大和田で撚糸業が盛んになった背景には「地の利」があります。浅川を隔てて八王子に接し、八王子へ物資を運ぶ「八王子馬力(ばりき)街道」が集落を貫いていました。出荷撚糸の付箋(ふせん)にある「八王子市外七生村平山」は、当地が八王子の経済圏にあったことを物語っています。
また撚糸は、湿っていた方が切れにくく、浅川べりにある西平山西側一帯は、撚糸をするのに適度な湿度がありました。
本件は、区画整理で変わっていく西平山地区にあって撚糸工場時代の痕跡をとどめた貴重な事例です。
※詳細は、当館HP『日野市西平山高橋家旧撚糸工場調査報告書』(PDF版)をご覧ください。
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