みんなのふるさとこぼれ話36

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ページID1012215  更新日 令和1年8月5日

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みんなのふるさとこぼれ話36

巽聖歌と上皇后美智子様

童謡「たきび」の作詩者巽聖歌は、大正・昭和の児童文学の世界で活躍しましたが、童話作家新美南吉の作品を世に出すためにも、力を尽くしました。

 南吉は、昭和18年(1943)に29才の若さで亡くなりました。7月30日は、南吉の誕生日でした。聖歌は、戦後の日野での生活の多くの時間を割いて、南吉の作品を刊行、昭和40年に『新美南吉全集』8巻を刊行してその役割を果たしました。

 上皇后美智子様が『でんでんむしの悲しみ』をはじめとする南吉の作品をこよなく愛しておられることは有名ですが、巽聖歌が行なった南吉についての講演を聞かれたこともあり、聖歌と美智子様には交流がありました。

 昭和48年4月24日に聖歌が亡(な)くなったとき、美智子様は、「山茶花(さざんか)の咲ける小道の落ち葉焚き 童謡とせし人の今亡く」という歌をお寄せになり、その死を悼(いた)みました。旭が丘中央公園の「たきび詩碑」の裏面にも刻まれています。

 新天皇が即位されて、令和の世となりましたが、昭和35年2月23日に浩宮様が誕生されたとき、聖歌は、「新宮様の産湯(うぶゆ)―浩宮様ご誕生記念―」という詩を作り、その御誕生を祝いました。宮崎県西都(さいと)市にある「児湯(こゆ)の池」という瓊瓊(にに)杵(ぎの)尊(みこと)の三人の皇子が産湯を使った小さな泉の伝説に思いを馳(は)せ、母である木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が願ったように、浩宮様の健やかな成長を祈ったのでした。『日向(ひゅうが)日日新聞』などに掲載され、『巽聖歌作品集』下に収録されています。

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