みんなのふるさとこぼれ話52 土方元吉と雑誌『軍事教育』
みんなのふるさとこぼれ話52
土方元吉と雑誌『軍事教育』
明治6年(1873)1月の徴兵令によって「国民皆兵」が原則となり、男子は満20歳になると徴兵検査を受けました。明治27~28年には日清戦争が起き、明治37~38年の日露戦争へと向かう時代に、『軍事教育』という雑誌が発行されていたことは、これまでほとんど知られていません。
『軍事教育』は、神田区今川小路二丁目一番地の軍事教育社から発行された月刊誌で、「発行兼編輯人」は桑田村(日野市)新井の土方元吉でした。
もともと同社からは、明治30年4月に創刊された『絵入雑誌軍事教育』という、子どもたちに軍事や軍国思想を教えるための雑誌が7号まで出ており、やはり土方元吉が発行兼編輯人でした。しかし8号から紙面を刷新し、絵の多い子ども向けをやめて、100頁を超えていた頁数を24頁まで大幅に減らし、大人向けの読み物へと転換しました。
日野市郷土資料館では、12号から15号までの4冊を所蔵していますが、その後は何号まで発行されたかなど、詳しいことはまだ分かっていません。
土方元吉は、安政5年(1858)4月、新井村に生まれました。明治15年12月に森久保作蔵らとともに自由党に入党し、明治30年の新自由党発足にも関わり、南多摩郡会議員などをつとめました。また、養蚕の篤農家としても知られ、養蚕業の発展をめざして明治28年に日野に設立された「扶桑社」の発起人にも名を連ねています。昭和14年(1939)、中華民国(当時)で死亡しました。
『軍事教育』には蚕種の広告が載ることがあり、元吉と同じような背景を持つ読者がいたことをうかがわせます。
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