みんなのふるさとこぼれ話42 たきびの詩人巽聖歌の日記から
みんなのふるさとこぼればなし42
たきびの詩人巽聖歌の日記から
巽聖歌の資料の中に5冊の日記が遺されています。これらの20歳代の日記には、作品からは見えてこない日々の暮らしや葛藤・苦悩が記されていて、その人物像をより深く理解することが出来、興味深いです。
大正13・14年の日記は、19~20歳にかけて、最初に上京し、時事新報社の『少年』『少女』の編集部に勤務していた時の日記です。創作ノートとしても利用されていて、『赤い鳥』で活躍していく時代の、瑞々しい作品が記されています。未発表のものや、投稿しても採用されなかった作品もあり、刊行物では見ることのできない作品や、推敲の跡を見ることが出来ます。代表作「水口」の草稿もありました。(大正13年日記は、原本は失われ、『日本児童文学』に翻刻されている抄録のみ)。
昭和4年の日記は、二度目の上京をした時のものです。文学者として独り立ちも出来ず、昭和の大恐慌下の東京で就職もままならず、日々の暮らしに悪戦苦闘しながら、文学の道をわが道としていくという決心だけは揺るがない、心打たれる内容です。やっと、北原白秋の後押しで、「アルス」という出版社に就職が決まるところまでが記されています。
昭和8・9年の日記は、「アルス」の職場日記で、経理や庶務を担当していた聖歌の奮闘がわかります。生活は安定し家族も出来ますが、経営難のなか、様々なトラブルにみまわれ「カミ、カミ、かみ、紙で、相変わらずの日を送る」(8年2月23日)という、ため息も聞こえてきます。『北原白秋全集』を刊行している時期なので、白秋に関する記述も散見します。
昭和9年2月16日は、「第一回宮沢賢治友の会」が新宿で開催され、草野心平・高村光太郎・新美南吉らとともに聖歌が写っている記念写真が残っています。この日の日記に、友の会の記述はありませんが、税務調査があって、税務署の調査員にいろいろ叱られたことが書かれていて、こんな仕事のあとに、会場へ駆けつけていったことが想像されます。
これらの日記は、新刊『たきびの詩人巽聖歌資料集一―野村七蔵から巽聖歌へ―』に全文が翻刻されています。(8月発売)
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