井上源三郎資料館と没後150年の特別展

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ページID1006607  更新日 平成30年1月4日

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写真:井上源三郎の写真と井上雅雄

これまでのHino Noteで、土方歳三などの新選組隊士は佐藤彦五郎が開いた道場で剣術を磨いたとわかりました。実は、道場を開くきっかけになったのは、ある一家でした。その名は、井上家。

佐藤に天然理心流を紹介したのは、井上松五郎という人物でした。松五郎は新選組六番隊長となる井上源三郎の兄で、兄弟二人ともが天然理心流の免許を持っていました。今も、松五郎の子孫である井上雅雄さんが天然理心流を教え続けています。

写真:井上源三郎資料館

天然理心流の活動の他にも、井上雅雄さんは松五郎の生家で井上源三郎資料館を運営しています。そこで松五郎と源三郎の生涯を語る資料を集め、歴史を伝えています。

井上兄弟は日野宿で生まれ、剣術を学びながら育ちました。その後、松五郎は徳川家に仕える八王子千人同心という集団に入りました。平和なときは農業をし、必要に応じて警察や消防士のような仕事をしました。一方源三郎は、土方歳三や近藤勇たちと一緒に京都に行き、幕府を守る新選組の隊士となりました。

写真:井上源三郎資料館にある展示品

実は、松五郎は今の歴史家にとってかなり有益な趣味を持っていました。剣術を学ぶ一方で、日記を書き、詩(俳諧)をよくたしなんでいました。彼のおかげで、松五郎自身や新選組にいる知人の周りに起きていることについての記録が残っています。

資料館には他にも、写真に写っている刀など、井上兄弟ゆかりの品が展示されています。この刀は、近藤勇が京都のお土産として松五郎に送った、大和守源秀国(やまとのかみ みなもとの ひでくに)という刀です。

写真:新選組のふるさと歴史館の井上源三郎展

松五郎は48歳で病死しましたが、源三郎は1868年1月5日に、鳥羽伏見の戦いで撃たれて戦死しました。当時はまだ39歳でした。そして、2018年の一月が没後150年目になります。それを機に、新選組のふるさと歴史館は井上雅雄さんと協力し、井上源三郎の特別展を始めました。この展示は普段特別展で使われている二階の展示室だけではなく、一階の展示室にも続く大きい展示です!

写真:宝泉寺の昔の名簿に写っている「源三郎」の字

井上源三郎資料館と同様、歴史館の特別展には古文書など井上兄弟ゆかりの展示品がたくさんあります。たとえば、この写真に写っている冊子は何かわかりますか?よく見ると、「源三郎」の名前が赤い丸で囲まれています。実は、源三郎が住んでいたころには、この資料を持っていた宝泉寺などのお寺が名簿を作り、戸籍を管理していました。ただ、武士の戸籍を管理するのはお寺ではなかった。源三郎の名前についている赤い丸はつまり、武士になったという意味です!

井上源三郎資料館は毎月の第一と第三の日曜日に開いていますが、新選組のふるさと歴史館の特別展は2018年2月18日までとなっています。ぜひこのチャンスを機に、井上源三郎のことをもっとよく知りましょう!

アクセス

井上源三郎資料館

  • 場所:東京都日野市日野本町4の11の12
  • 開館時間:毎月第1・第3日曜日 12時から午後4時

新選組のふるさと歴史館

  • 場所:東京都日野市神明4の16の1
  • 開館時間:9時30分から午後5時 (入館は午後4時30分まで)
  • 休館日:毎週月曜日、年末年始

このページに関するお問い合わせ

企画部 市長公室 広報係
〒191-8686 東京都日野市神明1丁目12番地の1 日野市役所4階
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