日野市核兵器廃絶・平和都市宣言とは

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ページID1025746  更新日 令和6年1月25日

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日野市核兵器廃絶・平和都市宣言文

日野市は、核兵器が地球上から姿を消す日まで、その廃絶を叫び、平和が市民生活の基本であるとの理念のもとに、日野市が核兵器廃絶・平和都市であることを宣言しています。

日野駅前をはじめ市内11か所に「核兵器廃絶・平和都市宣言」塔を設置しています。

巨大な量の核兵器は、米ソ両国の戦略兵器制限交渉などをもってしても、もはやその拡大を止められない事態となっている。 ひとたび核兵器が使用されることになれば、その結果は全人類とその文明の滅亡であることはいうまでもない。 日野市は、核兵器が地球上から姿を消す日まで、その廃絶を叫び、平和が市民生活の基本であるとの理念のもとに、ここに日野市が核兵器廃絶・平和都市であることを宣言する。

日野市核兵器廃絶・平和都市宣言塔

日野市では、この日野市核兵器廃絶・平和都市宣言をしたことを共有するため、市内11か所に「核兵器廃絶・平和都市宣言」塔を設置しています。

日野市核兵器廃絶・平和都市宣言塔の写真と設置してある場所
左:日野市核兵器廃絶・平和都市宣言塔
右:宣言塔が設置してある場所

世界の反核・平和へのムーブメントの高まり

昭和54年(1979年)12月

NATO(北太平洋条約機構)諸国に中距離ミサイル配備を決定。ヨーロッパやアメリカを始め、反核運動が各地で起こる。

昭和55年(1980年)11月

英国・マンチェスター市議会にて非核地帯宣言がされる。ヨーロッパに非核地帯を作る基礎としての宣言であり、ヨーロッパを始めとした他自治体に同調の呼びかけをした。

昭和57年(1982年)6月

長崎の被爆者が初めてニューヨーク国連軍縮会議で演説を行う。核兵器の恐ろしさを身をもって国際社会に訴えた。

昭和57年(1982年)~7月

昭和57年(1982年)7月開催のニューヨーク国連軍縮会議に向けて、世界各地で反核・軍縮を求める動きが高まっていく。この中で日本にも運動の波が反核・軍縮を求める声がかつてないほど高まっていきました。

国内での核兵器廃絶・平和都市宣言制定への高まり

昭和57年(1982年)3月21日 「平和のためのヒロシマ行動」

広島の平和公園に約20万人が集まり、核兵器に反対する意思を示す集会が開催された。

昭和57年(1982年)5月23日 「東京行動」

東京都でも約40万人が集まる反核兵器の意思を示す集会があった。

昭和57年(1982年)5月29日 「反核、平和のための日野市民集会」

日野市でも500人以上の市民が参加する集会があった。

日野市での制定までの動き

昭和57年(1982年)6月議会

「非核都市宣言関する請願」が提出され、市議会で採択された。

昭和57年(1982年)8月5日 非核宣言シンポジウム「平和宣言の輪を広げよう」

広島県安芸郡婦中町の呼びかけにより全国から9市町村の首長が参加。初の非核宣言シンポジウムが開かれ、「核兵器廃絶・平和宣言を呼びかける共同声明」が出された。

※ 後の「日本非核宣言自治体協議会」を結成する母体となる

 

昭和57年(1982年)9月議会 

「日野市核兵器廃絶・平和都市宣言」の原文が議案上程され全会一致で可決。

昭和57年(1982年)10月8日 

「日野市核兵器廃絶・平和都市宣言」が施工される。

このページに関するお問い合わせ

企画部 平和と人権課
男女平等ダイバーシティ推進係・平和と多文化共生係

直通電話:042-584-2733
ファクス:042-584-2748
〒191-0062
東京都日野市多摩平2丁目9番地 男女平等推進センター
企画部平和と人権課へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。