みんなのふるさとこぼれ話59「鎌倉殿の平山季重」

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ページID1022100  更新日 令和4年11月29日

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みんなのふるさとこぼれ話59

鎌倉殿の平山季重

平山季重錦絵画像
錦絵い描かれた平山季重

 

 今から約830年前の建久3年(1192)、源頼朝が征夷大将軍に任じられた年です。この年、のちに鎌倉幕府三代将軍となる源実朝が誕生しました。この時、弓の弦を鳴らし、邪気などを払う出産に伴う重要な儀式「鳴弦の儀」において、名誉ある「鳴弦の役」を務めたのが現在の日野市の武士、平山季重でした。

 平山季重は、平山を本拠とした武士で若い頃は「武者所」の通称があり、その名称から京で御所などを警護する武士として活動していました。そして、季重は平治の乱における待賢門の戦いで、500騎の軍勢に17騎で立ち向かった武士の一人として語られています。

 そして、源頼朝が平氏打倒の兵をあげると他の「坂東武者」とともにいち早くこれに加わりました。頼朝挙兵後、季重は金砂城の戦いにおいて武勇を称賛され、その後源平合戦の一ノ谷の戦いでは、熊谷直実と戦功を競ったことが知られています。一の谷の戦いでの活躍は様々な物語やそれを基にした錦絵などにも描かれています。また、歌舞伎や文楽の演目で有名な「一谷嫰軍記」では、戦功を競った熊谷直実の「敵役」として登場します。

 その後、奥州藤原氏を滅ぼした奥州合戦などにも参戦していましたが、建久6年の頼朝上洛に同行したのを最後に資料から季重の名前は見られなくなります。

 しかし、季重の名前は物語や錦絵などを通じて後世に語り継がれていきました。現在の日野市でも、季重の名前をしばしば見かけると思います。京王線の平山城址公園駅前にある「平山季重ふれあい館」の場所は、季重の居館跡と言われています。同じく駅前には季重の子孫が江戸時代に建立した「平山季重遺跡之碑」や大正時代に七生村青年団平山支部によって建てられた「季重公霊地碑」が今も見ることができます。また、高幡不動尊の寺宝には季重の太刀があり、西平山の平山八幡神社の社伝には、季重が鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したと伝わるなど、地域の伝承として季重の名がしばしばみられます。

 平成18年(2006年)からはじまった「平山季重まつり」も今年は10月23日に開催されました。この冬、ウォーキングがてら、市内にある平山季重ゆかりの地を歩いてみてはいかがでしょうか。

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産業スポーツ部 ふるさと文化財課
直通電話:042-583-5100
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〒191-0016
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