みんなのふるさとこぼれ話58「建築家鬼頭梓と日野市立図書館」

このページの情報をツイッターでツイートできます
このページの情報をフェイスブックでシェアできます
このページの情報をラインでシェアできます

ページID1020258  更新日 令和4年9月30日

印刷 大きな文字で印刷

みんなのふるさとこぼれ話58

建築家鬼頭梓と日野市立中央図書館

中央図書館の建物写真
来年50年を迎える日野市立中央図書(日野市豊田2-49)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日野市の図書館が、昭和40年(1965)9月、移動図書館「ひまわり号」からスタートしたことをご存じの方は多いと思います。画期的な図書館活動は評判を呼び、全国から注目されました。

 図書館発足に際しては、日本図書館協会事務局で有山崧(ありやまたかし)(昭和40年8月~44年3月まで日野市長)の下で仕事をしていた前川恒雄(1930―2020)が、図書館長として招かれました。前川は、イギリスの図書館を視察し、市民のための図書館がどうあるべきかについて高い理想を持っていました。

 移動図書館は軌道に乗りましたが、市民からは常設の図書館が欲しいという要望が出されました。児童図書館や分館が造られていきましたが、いよいよ中央図書館が建設されることになりました。前川館長は、東京経済大学図書館を見て、これを設計した鬼頭梓に依頼することを提案、当時の古谷栄市長もこれを受け入れました。

 鬼頭(きとう)(あずさ)(1926-2008)は、前川國男設計事務所で建築家としての仕事をスタートさせ、国立国会図書館の設計にも携わりました。前川國男は、国立西洋美術館を設計したル・コルビュジエの弟子にあたる建築家です。 

鬼頭は昭和39年に独立後も、山梨県立図書館や東北大学図書館、山口県立図書館など、多くの図書館の設計を手掛け、利用者にとって、またそこで働く人々にとって、使いやすい図書館はどうあるべきかを追求していました。

鬼頭は、ひまわり号にも同乗して日野市の図書館の理想に共感し、前川館長が示した、利用しやすく働きやすい、図書館の発展・利用の変化に対応できる、歳月を経るほど美しくなる、などの5つの基本方針を忠実に体現するような設計を心掛けました。昭和48年4月28日に中央図書館は開館しました。

鬼頭は、日野市立中央図書館の設計を「人生を賭けた挑戦」だったと語っていますが、山口県立図書館と共に鬼頭梓の代表作と評価され、その後の日本の図書館建築に大きな影響を与えました。

日頃何気なく利用している図書館が、日本を代表する公共図書館建築であり、文化財としても価値のあるものだということは、あまり知られていないかもしれません。来年4月で50年を迎える中央図書館が、歳月を経てどのように美しくなっているかを、ぜひ確かめてみていただきたいと思います。

鬼頭梓と日野市立中央図書館については、『建築家の自由―鬼頭梓と図書館建築』(2008年建築ジャーナル刊)、前川恒雄『われらの図書館』(1987年筑摩書房)・『移動図書館ひまわり号』(2016年夏葉社)などに詳しく解説されています。中央図書館、各分館に収蔵されています。

広報ひの 令和4年(2022年)10月号 掲載

このページに関するお問い合わせ

産業スポーツ部 ふるさと文化財課
直通電話:042-583-5100
ファクス:042-584-5224
〒191-0016
東京都日野市神明4丁目16番地の1
産業スポーツ部ふるさと文化財課へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。