みんなのふるさとこぼれ話35

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ページID1011712  更新日 令和1年8月5日

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日本人で最初のカイロプラクター森久保重(しげ)太郎

 

 高幡出身の自由民権家森久保作蔵の末弟重太郎は、明治20年(一八八七)4月に渡米した。前年12月には 自由民権運動の指導者石阪昌孝の長男公歴(まさつぐ)が、重太郎と同年八月には、日野宿の有山彦吉と豊田村の山口清之助が、同25年には森久保作蔵の長男善太郎が渡米した。善太郎は、スタンフォード大学(学位)とエール大学(修士)卒業後、明治42年に帰国したが、重太郎は生涯米国で暮らした。しかしその道のりは決して易しいものではなかった。重太郎は、カリフォルニア大学バークレー校で神学(しんがく)と形而上学(けいじじょうがく)を学んだが、キリスト教メソジスト監督教会に入信したことで家とは疎遠となり、同34年、ミネソタ州に移った。その後、日露戦争で東洋の国日本が勝利したことで、米国で黄禍論(おうかろん)が加熱し、アジア人排斥(はいせき)運動も起こる中、彼は終生、日本人の文化や習慣、気質について講演し、現地での日本理解に努めた。

同37年以降は治療師として活躍し、アメリカの手技療法であるオステオパシーやカイロプラクティック、磁気療法や電気治療等、統合的な医療分野で活躍した。その後、米国人ミルドレッド・ルイスと結婚し、息子ブルースも生まれた。同43年ミネアポリスに移り、昭和8年(一九三三)、心臓病でこの世を去った。遺骨は、ミネアポリスのレイクウッド墓地にある霊廟に葬られているという。

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