市長対談「日野で生まれ育ったプロ野球選手 千葉ロッテマリーンズ 佐々木千隼選手を迎えて」(令和4年3月号)

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ページID1019120  更新日 令和4年2月23日

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日野で生まれ育ったプロ野球選手 千葉ロッテマリーンズ 佐々木千隼選手を迎えて

 今号では、日野で生まれ育ち、千葉ロッテマリーンズの投手として活躍している佐々木千隼選手をお迎えし、2021シーズンの活躍や2022シーズンの抱負などをお話しいただきました。

2021シーズンを振り返って

市長 本日は大変お忙しいところお時間をいただきましてありがとうございます。2021シーズンは投手として54試合に登板して、8勝1敗、26ホールド、1 セーブ、防御率1.26とすごい数字ですね。本当に素晴らしい活躍をされました。

佐々木 ありがとうございます。覚えているのがすごいですね。

市長 コロナ禍で、みんな暗い思いをしている中で佐々木選手の活躍は本当にわれわれを元気づけてくれました。今日どうだったかな?ということで毎日過ごしていました。佐々木選手にとってどんなシーズンでしたか。

佐々木 5年目が終わったんですけど、4年目までチームに全く貢献できなかったので。本当にいろいろやらないとまずいなという気持ちでシーズンに臨んだんですけど、なんとかどんな役割でもチームに貢献したいと思っていました。最初はチームがリードされ、負けている場面で投げることが多かったですけど、そこから徐々に勝ち試合も投げさせてもらえるようになりました。終わってみれば少しはチームに貢献できたのかなと思うシーズンで、大変充実した一年だったなと思います。

市長 控えめなおっしゃり方ですが、すごい貢献だと思います。僅差で勝っている場面や、緊張感のある同点の場面で終盤に登板し、しっかり抑え、その後チームが逆転する試合が多かったと思います。一番印象に残っている試合はありますか。

佐々木 やはり優勝を逃した試合ですかね。141試合目に仙台で投げて、自分が打たれて優勝が消えてしまったのが、一番記憶に残ります。

市長 そうですか。少し苦い思い出。いいことが多かったですが、10月27日の楽天戦、唯一の黒星でしたね。それ以外は本当に素晴らしかったです。 今、おっしゃいましたけど、4シーズンはいろいろなことがあって、けがとの闘いもあったかと思いますが、いろいろな困難があってそれを克服してこられたと思います。そんな中で、心掛けてきたこと、大切にしてきたことはどのようなことでしょうか。

佐々木 本当に何回も心が折れて、もうだめかもしれないというのはありました。家族や周りのトレーナーさん、自分を治そうとしてくれる方、コーチにいろいろと支えてもらったので、感謝の気持ちは忘れちゃいけないというのはずっと思っています。

市長 佐々木選手が活躍するたびに、今日はどうだったという報告を市のLINEで配信してきたのですが、素晴らしい活躍でした。

チーム全員で勝った喜びを分かち合う

市長 佐々木選手はどのようなきっかけで野球を始めましたか。

佐々木 もともと小学校2年生ぐらいまではサッカーをやっていました。サッカーをやっている友達が多かったので誘われて入ったんです。兄が2人いまして、先に野球を始めていたので、その影響でサッ カーから野球に変更したという感じです。

市長 小学校2年生までサッカーですか。サッカーでも足が速くてシュートを決めていたのですか。

佐々木 割と得意だったかなと思います。

市長 プロサッカー選手としての「佐々木千隼」も見てみたかったですね。いまさらながらではありますが、佐々木選手にとって野球の魅力とは何ですか。

佐々木 やはりチーム全員で勝った喜び。チームスポーツですので、チーム全員で勝った喜びを分かち合えること。負けた悔しさもみんなで共有できること。チームスポーツならではの魅力なのかなと思います。

市長 ロッテの試合を見ていて、2021シーズンはみんなで抱き合う場面が本当に多かったですね。試合で結果を出したときはその喜びをみんなで分かち合うということですね。

日野での一番の思い出は高校野球

市長 佐々木選手は高校まで日野市の学校に通われて、まさに日野市出身の「ひのっ子」ですけれども、日野市で思い出に残っていることはありますか。

佐々木 毎年お正月に高幡不動尊に行ったり、多摩動物公園に行ったりといった思い出もありますけど、日野高校まで日野市で野球をやっていて、高校野球が一番の思い出かもしれません。

市長 高校野球は、エースで活躍されて。2012年は、佐々木選手がエースで確か準々決勝まで行きましたね。

佐々木 そうですね。ベスト8まで。

市長 準々決勝は日大三高で、最初に3点とられたけれども惜しい試合でしたね。やはりその辺は一番の思い出ですか。

佐々木 そうですね。高校野球の思い出が一番濃いのかなと思います。

市長 日野高校の野球部はどのような部でしたか。

佐々木 自由というか、自主性を重んじているチームだったかなと思います。

市長 野球部の仲間とは今も交流はありますか。

佐々木 もちろん。交流はあります。

市長 佐々木選手の活躍にエールを送ったり、励ましてくれたりですか。

佐々木 そうですね。負けた試合もメッセージをくれたり、励ましてくれたりします。

2021年以上の成績を残したい

市長 2021シーズンはこれ以上にないような活躍をされましたけど、新しいシーズンの目標や抱負があればお聞かせいただけますか。

佐々木 まずはチームとして2021シーズンは優勝を逃してしまったので、何としてでも優勝をしたい。 個人的にも優勝に貢献したい。もちろんいい成績も残したい。2021年以上の成績を残せるように頑張っていきたいと思います。

市長 今年は勝利数2桁、ホールドは50ぐらいですか。

佐々木 勝利数は野手の方々が打ってくれてつくものですので、0で抑えられる試合が一つでも多ければいいなと思います。

市長 8回の男ということで素晴らしい活躍でしたけれども、クライマックスシリーズは惜しかったので、 2022シーズンは勝ち抜いていただいて。2021シーズンはオールスターで活躍されましたが、今度は日本シリーズで活躍される姿をぜひ見たいです。 本当に素晴らしい活躍を期待しています。

プロスポーツ選手を目指す子どもたち、 日野市民の皆さまへ

市長 市内にはプロスポーツ選手を目指して、日々練習を積み重ねている子どもたちが大勢います。 子どもたちにメッセージをお願いできますか。

佐々木 小学校時代は、スポーツ自体を楽しんで、それで夢や目標が持てるように楽しんで頑張ってもらえたらなと思います。

市長 野球をやっていたり、最初の佐々木選手のようにサッカーをやっていたりといろいろな種目があります。学校の部活というより、それぞれのクラブチームなどに入っているお子さまもたくさんいらっしゃるのですが、お会いすると有望な方がいらっしゃいます。佐々木選手は素晴らしい成功体験の見本ですから、ぜひ活躍していただき、子どもたちの手本になって頑張っていただけたらと思います。最後に、日野市民の皆さまにメッセージをお願いします。

佐々木 日野市の野球選手代表として、2022シーズン、1年後2年後3年後、長く活躍できるよう頑張っていきたいと思います。応援をよろしくお願いいたします。

市長 昨年も日野市民の皆さまが球場に応援に行っています。私どもも応援しています。「よし、このスコアなら佐々木選手が出るぞ」とそんな感じで毎試合楽しみにしています。新しいシーズン、しっかりと体を作って、個人としても、チームとしても昨年以上のステージに行っていただくことを心から期待しています。けがには気を付けて頑張ってくださ い。本日はありがとうございました。

佐々木 ありがとうございました。

  • ホールド
    中継ぎ投手に与えられる記録。
  • セーブ
    勝った試合で最後に投げた投手につく記録。
     
  • 防御率
    投手が1試合(9イニング)投げた場合に、何点に抑えられるかを表す指標。数値が小さいほど好成績。
佐々木 千隼
1994年生まれ。日野市出身。 出身校は八小、三沢中、日野高、桜美林大。2016年10月に千葉ロッテマリーンズからドラフト1位指名を受け、2017年に入団。背番号は11で、右投げ、右打ち。2021シーズンは自身最多の54試合に登板し、8勝1敗、26ホールド、1セーブ、 防御率1.26の成績を残した。

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