真慈悲寺

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ページID1006606  更新日 平成29年12月12日

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写真:京王百草園

京王百草園に入ると、まるで別世界に入ったような気分になります。かつて文人達を魅了した高台の林や季節の花々が、実は何百年間も大事な秘密を隠していました。その秘密とは、どこにあったのか分からなかった、幻のお寺です。

11世紀から13世紀に存在した真慈悲寺がどこにあるかは、三十年ほど前までわかりませんでした。しかし、今ではさまざまな証拠から、浅草の浅草寺と同格であったと推測される真慈悲寺というお寺が日野市の百草園を中心に存在したことがはっきりしました。

写真:日野市有形文化財に指定されている瓦
日野市有形文化財に指定されている瓦(写真:郷土資料館所蔵)

真慈悲寺が百草園の周辺にあったとわかったきっかけは、実はトイレでした!1989年に百草園の外トイレの工事をした時、瓦が多量に見つかったそうです。よく調べてみたら、その瓦は中世のものだとわかりました。当時は、茅葺きの屋根が一般的でしたので、瓦が残っているということは、瓦を使うほど大事な建物が百草園に建っていたということです。掘り出された瓦は真慈悲寺の本堂や阿弥陀堂に葺かれていたものと考えられています。

写真:奈良国立博物館所蔵の長寛元年(1163年)銘の経筒
奈良国立博物館所蔵の長寛元年(1163年)銘の経筒(写真:郷土資料館所蔵)

瓦以外にも、百草園と真慈悲寺の関係を示すものがいくつか出土しています。たとえば、百草園の近くの丘に埋められた経筒が何本か発見されています。眺めのいい丘の上に不自然な石のまとまりが見つかり、経塚の跡だったとわかりました。近くに別の経塚も見つかっています。

お経は大変価値のあるものとして、経筒というケースに入れられて経塚に埋められました。真慈悲寺のお坊さんがその時の盛大なセレモニーを行なったと考えられます。

写真:研究者や歴史の愛好家が集まる現地イベント

そしてまた違う、かなり説得力のあるものが百草園の隣の百草八幡神社にあります。それは、13世紀に鋳造された阿弥陀如来坐像(仏像)です。1250年に銅で作られて、像の背中に文字が刻まれています。その中に、「日本武州多西吉冨」と「真慈悲寺」の名前が入っています!毎年9月のお祭りの時にこの像が公開されます。

真慈悲寺の歴史についてはまだなぞが多いですが、学者や歴史の愛好家は今でも研究を続けています。郷土資料館は百草園で現地イベントを開催したり、わかっていることを資料にまとめて配布したりしています。真慈悲寺に興味のある方はぜひ郷土資料館にある地図や年表が載っているパンフレットを参考にして現地を訪れてみてください。

郷土資料館

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