佐藤彦五郎新選組資料館

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ページID1006599  更新日 平成29年10月17日

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写真:佐藤彦五郎の写真

日野市が新選組のふるさとであるとはいえ、新選組は主に遠く離れた京都で活躍しました。それなのに、新選組の武具や遺品が日野市にたくさん残っているのはなぜでしょう?

理由は、新選組が結成される前から隊士を支えた、佐藤彦五郎という人物がこの日野市に住んでいたからです。
この地の名主だった彦五郎は、妻のノブと一緒に日野宿を治めていました。天然理心流を学んでいた彼は、日野宿本陣に道場を開きました。ノブの弟・土方歳三をはじめ、近藤勇、沖田総司、井上源三郎や山南敬助など新選組の隊士となる人たちが彦五郎の道場で剣術を磨きました。

写真:展示を説明してくれる佐藤福子さん

将軍を守るために、江戸幕府が1800年代の中頃に侍を集め始めました。彦五郎もそれを聞いて手を貸したかったが、日野宿を留守にすることはできませんでした。代わりに、彼はノブと一緒に育った歳三を近藤勇たちについて行かせました。京都で「新選組」を結成し、名が知れわたりましたが、隊士たちが佐藤道場を忘れることはありませんでした。京都の事情を書いた手紙やお土産を、日野の彦五郎に送り続けました。

そして150年程過ぎた今では、佐藤彦五郎の直系の子孫である佐藤福子さんが彦五郎や新選組の隊士が持っていた様々な資料を集めて、佐藤彦五郎新選組資料館で展示をしています。

写真:土方歳三が姉のノブに送った茶器

佐藤さんが展示資料をもとに語る歴史はとても面白く、ネットや教科書では感じられない親近感が自然とわいてきました!特に、彦五郎と新選組の日常を記した資料は、あまり見られない彼らの面を知るチャンスです。

彦五郎は特に土方歳三と仲良くしていました。なぜなら、親を亡くした歳三は姉のノブとその夫だった彦五郎に育てられたからです。彦五郎が歳三に剣術や書道を学ばせてあげたため、佐藤家に残る遺品から歳三の美的感覚がわかります。たとえば、上の写真に写っている茶器は、歳三がノブに送った京都のお土産です。

その他にも、歳三が持っていた美しい「越前康継」という名の刀も資料館で見られます。彦五郎の長男が捕えられたと聞いた歳三は、「刀を取られたであろう」と、自分の刀を一振送りました。楽しい時も大変な時にも寛大な歳三は、本当に家族思いだったと知りました。

写真:土方歳三が佐藤彦五郎に書いた手紙

彦五郎は歳三以外の隊士からも信頼されていました。それは歳三みたいに家族としてではなく、新選組の後援者としてです。そのため、隊士たちはよく京都の事情などを手紙で彦五郎に教えていました。

資料館では、近藤勇が1863年にスパイを捕まえたときに送った手紙などが見られます。その手紙に、路地で使いやすいから、勇が長い脇差を好んでいたなどの面白い情報が入っています。勇の他にも、永倉新八や沖田総司も彦五郎あてに手紙を書いていました。もちろん、土方歳三の手紙も残っています!

写真:佐藤彦五郎の刀

佐藤彦五郎は遠くから戦いの事情を聞いていたとはいえ、実は彦五郎も優れた剣士でした。道場を持っていただけあって、彼が使っていたこの刀に戦いの証が刻まれています。これは片手じゃ持ち上げられないぐらい重い刀です。こんな大きいな刀を使いこなせたということは、かなりの腕前だったらしいです。

彦五郎が護身用として使っていた鉄扇など、槍や拳銃のさまざまな武器も佐藤彦五郎新選組資料館でたくさん見られるので、ぜひ気になる方は行ってみてください!

アクセス

開館日と開館時間

  • 毎月の第1・第3日曜日
  • 11時から午後4時まで

交通案内

  • 専用駐車場はないので、電車の方をおすすめします。
  • JR中央線の日野駅から徒歩8分、または多摩モノレールの甲州街道駅から徒歩13分で行けます。

佐藤彦五郎新選組資料館のより詳しい話は佐藤彦五郎新選組資料館ホームページを参照。

関連記事

佐藤彦五郎新選組資料館はもちろん、実は佐藤彦五郎がいた日野宿本陣も入れます!気になる方はぜひ日野宿本陣のHino Noteを読んでみてください。

このページに関するお問い合わせ

企画部 市長公室 広報係
〒191-8686 東京都日野市神明1丁目12番地の1 日野市役所4階
直通電話:042-514-8092
代表電話:042-585-1111
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