■9月23日は「手話言語の国際デー」「手話の日」見て、知って、伝える—日野から広げる手話の輪

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［問い合わせ］障害福祉課（電話番号042・514・8485）

◎9月23日は「手話言語の国際デー」「手話の日」見て、知って、伝える—日野から広げる手話の輪

9月23日は、世界中で手話言語を祝う記念日として国連が定めた「手話言語の国際デー」です。毎年テーマが掲げられており、2026年のテーマは「ろう者人権宣言（Declaring Deaf People's Human Rights）」。世界中でろう者の権利と手話言語の重要性を見つめ直す日です。
また、9月最後の1週間は「国際ろう者週間」です。1958年9月、イタリアのローマで世界ろう連盟の最初の世界会議が開催されたことを記念して始まりました。世界各地で、ろう者・家族・手話言語通訳者・仲間たちによるさまざまな活動が繰り広げられます。
さらに日本では、令和7年6月25日に公布・施行された「手話に関する施策の推進に関する法律（手話施策推進法）」により、9月23日が日本の「手話の日」として制定されました。国民一人ひとりが手話への理解と関心を深めることを目的に、自治体や関係団体による啓発イベント・広報活動が全国で行われます。

■第7回ひの手話まつり

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［日程 ］10月8日（木）・22日（木）、11月12日（木）・26日（木）、12月10日（木）、令和9年1月14日（木）、2月4日（木）・25日（木）手話に挑戦（初級コース）…午前9時45分から、手話で語ろう（上級コース）…午前11時から
講日野市聴覚障害者協会、ひの手話サークル
［費用］各コース1回1500円、全8回10000円
［定員］申込制で先着10人
［申し込み］9月13日（日）午前10時からひの煉瓦ホール（市民会館）窓口または電話
［ところ・問い合わせ］同ホール（電話番号042・585・2011）

■水路・公園・緑地に剪定枝、草、ごみを捨てないでください

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［問い合わせ］緑と清流課（電話番号042・514・8309）

◎水路・公園・緑地に剪定枝、草、ごみを捨てないでください

市が管理する水路が、枝や草、ごみなどで「溢れそう」とたびたび通報を受けます。市内を網の目のように流れる水路は多摩川や浅川、程久保川から取水した水や湧き水を田などの農地へ送る役割があることに加え、降った雨を川へ排水するための経路となっています。よって、水路が詰まってしまうと、近隣の方への浸水被害に繋がってしまいます。
① 枝や草、ごみなどを流さないでください
② 強風で飛ばされた物が水路に詰まることがあります。自転車のカバー、発泡スチロールの箱など、物が飛ばないように工夫をお願いします
③ 公園や緑地をご利用の皆さまが気持ちよく過ごせるよう、ごみの持ち帰りにご協力をお願いします

■みんなのふるさとこぼれ話98

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［問い合わせ］郷土資料館（電話番号042・592・0981）

◎みんなのふるさとこぼれ話98
中学生が出会ったヒロシマ 被爆教師 中本剛

昭和50（1975）年に七生中学校が都内初の広島方面修学旅行に行ってから8年後の昭和58（1983）年に日野第四中学校、その4年後の昭和62（1987）年に大坂上中学校が2回目の広島方面修学旅行に行き、その時、現地で生徒たちに話をしてくれた被爆者が中本剛氏でした。
中本氏は荒神町国民学校（広島市南区）の教諭で、原爆投下時には児童と疎開先の久地村（現広島市安佐北区）にいましたが、8日に広島市内に入ったため入市被爆※1しました。
荒神町小学校は倒壊しましたが校舎は焼けなかったので、教師たちが講堂の部材を使って4つの教室を急拵えしました。その頃近くの土堤には食料・衣料を売る小屋が建ち、その中にあった貸本屋の店主が原爆詩人・活動家であった峠三吉でした。峠と知り合いになり、感化された中本は、「広島青年文化連盟」に入りました。連盟は、大村英幸（広島県福山市出身、旧制広島文理科大学学生）を中心に、社会人の峠三吉も加わり、戦後いち早く被爆地広島の状況を伝える活動を始めた組織でした。昭和21年2月、連盟はじめての講演会で講演したのが社会運動家・作家であった山代巴（広島県府中市出身）※2で、会場の荒神町小学校で山代を迎えたのは中本教諭でした。これが、講演後に握手を求めてきた峠三吉と山代の出会いとなり、昭和27年9月、峠三吉と山代巴を中心とした原爆の詩編纂委員会が編纂した詩集『原子雲の下より』（青木書店）の出版につながりました。
広島市民による初めての核兵器廃絶宣言がなされた昭和24年10月2日の平和擁護広島大会では、中本教諭が作文指導していた段原小学校（広島市南区）5年生の作文「戦争はひもじい」が読まれ、会場全体が感動に包まれました。1951年刊行の長田新編集『原爆の子』（岩波書店）につながる先駆的な仕事でした。被爆者運動の黎明期を支えた大村英幸・峠三吉・山代巴らと交流のあった中本剛。市域の生徒がかつて出会った被爆者は、そのような歴史を背負った人物でした。現地で被爆者から聞く話は生徒たちの心に深く刻まれました。12月13日（日）まで郷土資料館で「中学生がであったヒロシマ」展を開催しています。ぜひご覧ください。
※1 原爆投下後、家族の捜索や救援のため一定期間内に被爆地に入り、残留放射線を浴びたことによる被爆。
※2 山代は昭和43年～平成8年まで多摩平団地に居住し、その後、杉並区に転居し平成16年11月に92歳で亡くなりました。
写真あり