
◎イベントPick Up！
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■8月5日・19日　自然を楽しむ俳句講座（秋）

初心者のための俳句講座です。俳句の基本や作り方を学び、句会を楽しみながら俳句に親しんでいただきます。
［日程 ］8月5日（水）・19日（水）午前10時～午後0時30分
［講　　］廣瀬悦哉氏
［定員　］申込制で先着10名
［費用　］各回1500円
［ところ］・［申し込み］・［問い合わせ］ひの煉瓦ホール（市民会館）（電話番号042・585・2011）

■11月4日　大阪桐蔭高等学校吹奏楽部関東公演 in 日野

大阪桐蔭高等学校吹奏楽部は2005年に野球部応援のために発足して以来、全国大会や国際大会で数々の金賞・グランプリを受賞。迫力ある演奏をこの機会にぜひお楽しみください。
［日程 ］11月4日（水）午後6時開演、午後5時15分開場※上演時間は約150分（休憩あり）
［費用　］一般2500円、中学生1500円、小学生以下500円※未就学児は大人1名につき1名膝上鑑賞無料（座席が必要な場合は有料）、全席指定
［ところ］・［申し込み］・［問い合わせ］ひの煉瓦ホール（市民会館）（電話番号042・585・2011）

■11月14日　赤レンガプロジェクト昭和講談ガールズ

女性講談師ユニットが昭和百年の時代を創り上げた人物について生き生きと語ります。
［日程 ］11月14日（土）午後1時30分開演※午後1時開場
［講　　］神田あおい氏、一龍齋貞奈氏、菊仙氏
［費用　］2000円※税込み、全席自由
［申し込み］チケット販売…8月15日（土）午前10時から※初日は電話予約のみ、チケットの受け取り…8月16日（日）午前9時から
［ところ］・［問い合わせ］ひの煉瓦ホール（市民会館）（電話番号042・585・2011）

■11月29日、12月6日・13日・20日　ひの亭こども落語 ワークショップ

落語に興味のある子どもたちを対象とした、落語家による全4回のワークショップ。
［日程 ］11月29日（日）、12月6日（日）・13日（日）・20日（日）※最終日は「ひの亭こども寄席」
［講　　］色彩亭朝輔氏、色彩亭てふてふ氏
［対象　］①小学1～3年生②小学4～6年生
［定員　］申込制で先着①10人②8人
［費用　］1500円（扇子・手ぬぐい代込み）
［申し込み］七生公会堂窓口…8月29日（土）午前10時から、電話…8月29日午後2時から
［ところ］・［問い合わせ］七生公会堂（電話番号042・593・2911）

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◎みんなのふるさとこぼれ話97
ID: 1031383
［問い合わせ］郷土資料館（電話番号042・592・0981）

■秋間為子と錦秋実用女学校

秋間為子は、文久元（1861）年に平山村の名主秋間善次郎の三女として生まれました。明治21（1888）年に、離婚をきっかけに帝国大学医科大学の看護婦養成所の一回生として入学します。翌年卒業すると、鈴木雅とともに派出看護婦会を開きました。その後独立して、本郷区元町（文京区本郷）に博愛看護学校を設立しました。
明治27（1894）年7月に日清戦争が始まると、為子は従軍を志願し、日本赤十字社の篤志看護婦（ボランティア）となって広島で救護活動を行いました。後にこの功績により、勲八等宝冠章を受け、日赤の特別社員となりました。日露戦争時にも看護婦として広島へ従軍しました。
しかし、為子はしだいに社会運動や女子教育へ注力していくようになります。明治35（1902）年に三多摩女子郷友会、明治38（1905）年7月に大日本婦人農芸会を設立し、自費で全国を遊説し、勤倹貯蓄などを推奨しました。さらに明治42（1909）年8月、七生村平山報徳会を設立して指導にあたると、青年たちが率先して加入し、やがて報徳会は七生村全体に広がりました。
明治34（1901）年、本郷区元町に、東京に出て学ぶ女子のための寄宿学校「錦秋女塾」を設立しました。錦秋の名付け親は民権家の石阪昌孝です。明治42（1909）年には錦秋女塾を改め、錦秋実用女学校を設立しました。報徳会や女学校の設立には、高幡出身の代議士森久保作蔵らも関わっており、為子が地元でも一目置かれる存在であったことがわかります。
為子はさらに大正元（1912）年10月、文部省の認可を得て、錦秋実じつ科か 高等女学校を設立しました。主として裁縫や家事などの家政に関する学科目を修める学校です。錦秋実用女学校と共に、それまでの元町から真砂町35番地に移転し、新校舎を建設しました（余談ですが、すぐ近所には元新選組隊士の斎藤一はじめこと藤田五郎が住んでいました）。
その後、時代に合わせて学校は何度か組織変更され、昭和2（1927）年に財団法人化もされました。
昭和7（1932）年11月6日、為子は宗印寺に自らの墓石を建て、生前葬を行いました。翌8（1933）年4月9日、73歳で亡くなりました。
為子の作った学校は、戦後は錦秋学園高等学校となり、都市計画の影響を受け昭和49（1974）年に閉校しましたが、現在も学校法人錦秋学園として教育事業に携わっています。