■発掘調査最前線

掘り起こされた日野市の歴史

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［問い合わせ］ふるさと文化財課（電話番号042・583・5100）

日野市には、多摩川や浅川に挟まれた日野台地や河岸段丘、河川の氾濫原にあたる沖積地、そして多摩丘陵といった多様な地形が広がっています。このようにバリエーション豊かな地形を持つことから、市内には古くから人々の暮らしの跡である遺跡が数多く残されています。本号では、昨年度の調査で新たに発見された遺跡から、昔の人々の暮らしの一端をご紹介します。

◎縄文時代の家の変化…①

南広間地遺跡では、縄文時代後晩期の住居が発見されました。縄文時代の住居は丸い形のイメージが強いかもしれませんが、この住居は四角い形をしています。縄文時代の住居は時代によって形が変化しており、早期と呼ばれる初めの頃は四角形、中期には円形、そして晩期になると再び四角形へと戻ります。なぜこのような変化があったのかは、現在も研究が進められています。

◎弥生時代末から古墳時代初頭の焼け落ちた家…②

平山遺跡では、弥生時代末から古墳時代初頭にかけての焼失住居が見つかりました。住居の床面から焼けて炭化した柱の跡などが見つかることで、火災によって焼け落ちた家であることが分かります。市内では同じ時期の焼失住居が複数確認されており、単なる火事ではなく、住居を使い終えた際に儀式として焼いた「廃屋儀礼」の可能性も考えられています。

◎古代のリフォーム工事…③

平山遺跡では、一度使われた住居を埋め戻し、再び住居として利用したと推測されている例も確認されました。埋め戻す際には地面を固め直した痕跡があり、再利用を目的とした工夫がされていたことが分かります。このように、いわば「リフォーム」を行った住居は、市内でも珍しい例です。

◎時代で変わるキッチン

住居の中で火を使う場所や方法、いわば「キッチン」も時代によって変化しています。  
縄文時代には、住居の中央に土器を埋めたり、石で囲った炉が使われていました。弥生時代以降になると、同じく中央で火を使うものの、土器を設置せず地面で直接火を扱う形へと変わります。さらに古墳時代中期になると、大陸から伝わったかまどが住居の壁際に設けられるようになり、日野市でも古墳時代後期には広く普及していきます。

◎ふるさと文化財課からのお願い

文化財保護法により、遺跡のある場所（包蔵地）で建築などの工事を行う際には、「埋蔵文化財発掘の届出」の提出が必要です。なお、神明上遺跡は一部範囲が変更されています。工事などをご計画の際は、事前にふるさと文化財課までご確認ください。