◎市長新春対談「まちおこしへの思い」を語る  あけましておめでとうございます  皆さん希望を胸に、新しい年をお迎えのことと思います。市では平成16年のNHK大河ドラマ『新選組!』の放送に合わせ、関連のイベントを開催しました。このイベントを機会に「日野宿通り再生計画」をはじめとする地域の歴史・文化を掘り起こし、まちづくりに生かす施策に取り組んでいます。  今年の市長新春対談は、新選組でもゆかりのある福島県会津若松市在住の山崎捷子(しょうこ)氏をお迎えし、まちおこしに対する思いなどについて語り合っていただきました。 |||会津若松・大町通り商店街の活性化を担う「アネッサクラブ」 【市長】  新年明けましておめでとうございます。 【山崎】  明けましておめでとうございます。 【市長】  今回は会津若松から、山崎捷子さんをお招きしました。会津若松の商店街活性化事業で、「あねさま」(会津のことばで商いをするおかみさん)たち、女性の視点でのまちおこしをされている方です。  会津若松と日野は、新選組をきっかけにイベントや市長同士の交流もあります。  日野にも、いろいろな産業がありますが、商店街の活性化が課題のひとつと考えています。そして女性の視点を生かしたまちづくりも必要です。  そこで、会津若松の商店街の活性化ではどのような取り組みをしてこられたかを中心にお話をお聞きしたいと思います。 【山崎】  会津は江戸の彰義隊と一緒に幕府方として戦いました。新選組とは会津でも一緒に戦ったわけですから親しみがあります。NHK大河ドラマ「新選組!」が放送されたときは、地元でも大変な人気があり、その中で、日野との交流が広がったと思います。 【市長】  まちの規模という点では、日野は、人口こそ増加しましたが、あまり大きな地域ではありません。会津若松はお城を中心としたまちですから、日野とはだいぶスケールが違うと思います。しかし、新選組などを起点にして市民同士の交流が図られ、それがお互いのまちづくりに生かせればと思います。  山崎さんが「あねさまたちのまちおこし」ということでやってこられたきっかけと、どのような形で進めてきたのか、概略をお聞かせください。 【山崎】  会津も他の地域と同じように、まちが寂しくなったと感じるようになりました。  私たちが住んでいる大町は会津若松駅から約1.5キロつながっている旧大通りで、約400年前、蒲生氏郷(がもううじさと)(注1)が町割りをしてできた最初の商人まちだと言われています。  それが、昭和30年代半ばころから周辺の開発が進んでいるのに、古い蔵などがある関係で道路整備などが遅れ、人口もどんどん減少していきました。また、観光客も減少し、私たちが平成9年に「アネッサクラブ」(注2)を立ち上げようと思ったときには、かつて年間約300万人だった観光客が270万人に減っていました。  そのような時、私たち女性も何かできるのではないか、自分の店のために何かできるのではないかと思い、「のきさきギャラリー」(注3)を考え出しました。  商店街なので、小さなウインドーが必ずあります。そこに何か飾ったら一番手っ取り早いと考えました。私たち商人は昔のものを多く受け継いでいますので、自分にとってのお宝を飾ろうということで、商人文化を前面に出しました。  最初は60軒くらいから、女性が多かったので、おひなさまを飾ることから始めました。飾ってみたら、古くてもとても立派なおひなさまがたくさん飾られました。なかには戊辰戦争のときに燃えて、蔵の中に入れていたというものもありました。  今まで邪魔で、古くさいと思っていた蔵の中にあった調度品や、部屋の奥に置かれたものが、これは私たちのお宝なのよということで表に出たのです。それによって女性も前に出られるようになったのです。 【市長】  おひなさまというのが、とてもいいですね。だから女性が出やすかった。じゃあ私がちゃんと面倒を見なければというような感じが出ますよね。  また、飾るものは古いものかもしれない、あるいは傷んでいるものかもしれないけれども、それぞれのお店の主人なり、あるいはおじいちゃん、おばあちゃんなりにとって、とても大事な宝であったものを、お見せするというよりも、出したということですね。 【山崎】  そうですね。そこがポイントだったのではないかなと思います。 【市長】  ところで、おひなさまというのは、日が過ぎると早くしまえとか、いろいろな話がありますよね。 【山崎】  これはイベントとしてやっているのだから、3月いっぱいは飾りましょうということを何度通達しても、3月4日になるとおひなさまは片付けられてしまいます。聞いてみますと、家のしゅうとさん、しゅうとめさん、周りの方々が、「娘さんがお嫁に行けなくなる」と心配されたり、お客さまも好意的に「早くしまわなきゃだめよ」と言ってくださって、2、3年は徹底できませんでした。  皆さん、嫁という立場なので、しゅうとめさんに抵抗するようなことはあまりしたくないということで、素直にしまっていました。そこでこれは迷信なのだという文献を探し、裏づけをしました。  私たちは、何かやるとき、必ずそうした文献を探します。言葉で否定的なことを言っても、納得してくれません。こういう歴史があるのだということを見せると、皆さん納得されます。それからだんだん3月いっぱいまで、おひなさまを飾ってくださるようになりました。 【市長】  これを飾ってくださいではなく、一人ひとりが工夫できる仕掛けであったということが、とてもいいですね。 【山崎】  これまで女性はお店のことは口出しをせず、「手伝い」という感じでしかなかったと思いますが、自分のお店の商品の飾り方まで気になりだし意見を言うようになりました。あねさまたちが自立を始めた一つのきっかけになったと思います。 【市長】  それから、パレードも同時期にやったと伺いましたが。 【山崎】  はい。最初は恥ずかしくて、小さい声で早足で通りましたが、パレードをしようと思いついただけでも、私はすごいことだと思うのです。  2年目、3年目になりますと、自宅にある鉦(かね)やちょうちんを持ってきたり、消防署から拍子木を借りてきたりしました。 【市長】  なるほど、消防のPRを兼ねて。 【山崎】  地域の婦人消防団の方々も加わっていただいて、毎年2月の5〜15日の間ぐらいにやっています。絶対この日にやらなければならないというと、なかなかできません。今年はいつごろやろうかとアバウトにしておくのがいいのです。 【市長】  それぞれの都合で対応しやすいですね。 【山崎】  一番出られる日にちを皆さんで選ぶ、それがいい方法だったのではないかと思います。 |||地域を越えた地域づくりをめざして 【市長】  それから、女性の視点からルール(アネッサ憲章)(注4)をつくられましたね。うまいぐあいに仕組みがつながっているような気がします。  会の立ち上げは、スムーズに盛り上がる状況だったのですか。 【山崎】  会をつくるときに、商店街婦人部の附属的な組織では嫌だと思い、私一人が最初は抵抗しました。しかし、そういう形でないと、このまちでは立ち上げられないと言われまして、妥協しました。商店街会長がアネッサクラブの活躍を目のあたりにして、独立しても大丈夫と助言していただき、2年後に独立しました。 【市長】  立ち上がったはいいけれども、というのがあるのでしょう。 【山崎】  そう、立ち上がったのですが、私たちは地域を越えた地域づくりを目指していました。同じこころ意気のある人ならどなたとでも一緒にやっていきたいのに、商店街単位でないと認められない、前例がないからだめだというのです。  でも、話し合いを通して市役所からも支援をいただき、立ち上げることができました。その力がないと、できなかったかもしれません。周りの協力があったからできたことだと思います。 【市長】  この「アネッサクラブ」という名前のつけ方が、単に女性の会とかというのではなくて、地元の言葉も使って、しかも「クラブ」という横文字風の名前でやるということが、古いところから出ていながら、でもちゃんと新しいことも見据えているという、視点が感じられて、とてもいいなと思うし、これが秘訣なのかと思います。  まちおこしの関係での連携はどうだったのでしょうか。 【山崎】  「まちの駅」を立ち上げようというときも、商工会議所の青年部や市役所の方の中に「アネッサクラブ」を入れてくださるのはいいのですが、相手方がどう一緒にやっていけばいいのか方向性が見えず難しかったようです。まだ、男性だけの会議が多いですから。  でも、市役所は認めているし、実現できそうなよいアイデアを持っている「アネッサクラブ」はまちづくりの会議に入れてくれます。 |||女性の視点で居心地のいい場所づくりのアイデアを出す 【市長】  行政との間で、もう少しバランスをとらなければいけなかったり、ちょっと不都合があったりとかはありますか。 【山崎】  行政からは、発足当時、商店街として認められないから、助成金は出せないということがありました。私たちも資金が集まらず困っていたところ、会津若松市役所の女性職員の方が、後押ししてくれて、優れたものには費用の3分の2を助成するアイデアコンペというものがあることを教えていただき、応募したところ、2年連続で入賞でき、それで事業の形にすることができました。その後、新潟県からも助成金をいただきました。現在は、福島県の振興局からも応援をいただいています。  アイデアといっても、私たちが居心地をよくするにはどうしたらいいかを追及しただけです。つまり、私たちの居心地が悪ければ、お客さまも同じで、だれも来なくなります。私たちの居心地のいい場所をつくろうというのが私たちの原点です。 【市長】  「アネッサ憲章」というのがあって、「のきさきギャラリー」が最初ですけれども、次に、居心地のいいまちづくりを目指すということですよね。  その次が、古さといいますか、日本のふるさとであり続けよう。まさにすべてが古くからずっとあったもの、それをちょっと工夫してお見せするという形で統一されているような気がして、新しいものを持ってくるのとは違うということですよね。 【山崎】  アイデアはあっても、みんな素人でわからない。こういうことをやりたいけれども、どうしたらいいのだろうか。そういう考え方から「アネッサ大学」という勉強の場をつくったわけです。必ず学習してから、実行しています。 【市長】  それは大事なことですね。ちょっとよさそうだからと、すぐ実施するというのではなくてね。  会員さんの通信で「のきさき通信」というものを出されていて、状況の報告、活動方針等のPRをされていますね。 【山崎】  発信することは大事だと思います。いまでこそ、8ページ建てで中身も良くなっていますが、最初はA4で1枚しか作れませんでした。 【市長】  あまり気張らないでね。 【山崎】  紙一枚だけでやっていたのですが、応援してくれた人の中に小さな冊子などをつくっていた方たちがいて、その方たちが手伝ってくれて、今の形になりました。 【市長】  ありのままというのか、今あるもの、今やっているものをちょっと磨くといいますか、そこから発想しているから、無理がないですよね。新たに何か考え出そうとか、持ってこようではなくわからないものは聞いて、ある程度確かめてから始めるということですね。  「あねさま」たちだけではどうしてもできない部分がたくさんあったと思うし、そこを応援団が、手伝ってくれる。応援を求める秘訣は何かありますか。 【山崎】  私たちがあまりにも未熟なので、皆さんが気の毒がって手を貸してくださるというのが実情ではないでしょうか。 【市長】  日野市も、平成12年にごみの有料化を実施したときに、「日野市はこんなにごみ量が多くて困っていますので、助けてください」とやりました。そうすると、意気に感じて手伝ってくれる市民の方も随分いて、引っ張ってくれた。そんな経験もありまして、その辺が市民と協働の行政を進めるとか、まちづくりを進めるときのヒントになったと思いました。 |||「四つのどうぞ」のおもてなし 【市長】  地域に根づいた女性でなければ出てこないアイデア、それがあるように思ったのは、お茶をどうぞ、お荷物をどうぞ、いすをどうぞ、トイレをどうぞの「四つのどうぞ」(注5)という言葉です。 【山崎】  それはアイデアではなく、すでに商店の人たちが個々のお店でこういうことをやっていました。いすは小さな丸いすなど何でもお出しして、一服お茶を飲みましょうという形でお茶をお出しして、できることをやっていたのです。それをただ形にしただけです。 【市長】  ただ、それが恐らく、お客様には伝わっていなかった。目に見えるように、はっきり出す。しかも同じ信号を送るということですね。 【山崎】  その通りです。トイレをとても借りやすくなったとか、お荷物も預かってもらいやすくなったと喜ばれました。  全国で皆さんが使ってくださればうれしいと思います。 【市長】  どうぞと言うのでも、堂々と声を出していない例が多いですよね。  さらに目に見えるようにという意味では、パネルをつくったり、旗をつくったり、シンボルマークをつくったり、新しいアイデアがどんどん膨らんでいるなという感じがします。 【山崎】  「アネッサマーク」をつくるときは、全国公募をして、100近くの応募作品が集まり審査しました。  最後まで残ったのが、右の写真のちょっとやぼったいおばちゃんマークと、とてもあか抜けていて、すごくスマートなデザインのもので、どちらも半々ぐらいの方が押されていました。しかし、私たちが会津弁という自分たちの言葉で話すことが、温かい心でもてなすという気持ちにつながるのではないかということで、このやぼったい方のあねさまマークに決まりました。 【市長】 このマーク自体も、まさにあねさま、「アネッサクラブ」の無理をしない実情を素直に表現している感じはありますよね。  あと、ガイドマップもいいものをお作りになっているようですが。 【山崎】  ガイドマップも実は手づくりです。今は学生が細かく書いてくれますが、最初に作ったときは、何と消しゴムを削って、ビルはこれ、一軒家は屋根つきのマークと、芋版のようにポコポコ押して作りました。今の地図の半分寂れたような色合いは、この時のまま残すようにしています。  あとは、大通りを花と緑のストリートにしたいと思い、活動を始めました。ただ花を植えるということは、どこでもやっていることですよね。私たちは、そこにプラス、ハーブとケナフを植えました。ハーブは、お料理にも使えますしいい香りがします。入口に入るとき、五感を刺激しほんのり香りがするという癒しの効果があります。ケナフは、空気をきれいにしてくれますし、葉っぱから茎まですべて利用できるので、まさにリサイクル、リデュース、リユースという三つの要素を備えています。 【市長】  環境にやさしいですね。 【山崎】  環境に配慮して植えています。あわせて、育てたケナフの種を希望者にプレゼントし、次の年は種をくださいということでやっています。 【市長】  まちづくり、まちおこしというと、まちの骨格をつくるとか、道路をどうするかなどの話が先行してしまいますが、ソフトの話こそ大切ですよね。 【山崎】  そうですね。 |||自分たちで動いてみよう 【市長】  いろいろなことが行われて、大勢の人が出てくるようにもなってきた。商店街そのものの状況は、今、どういう方向に変わりつつありますか。 【山崎】  私たち女性の提案を商店街の男性たちも受け入れ、認めてくれるようになりました。  私たちは当初、「歩きやすい」道路を役所に頼んでつくってほしいと思っていました。でも、「歩きにくい」ばっかり言っていないで、自分たちに何ができるかと考えたとき、まず歩きにくい道路をきれいにしようと考え、クリーンデーを設けて、一斉清掃をしました。  自分たちできれいにしようということが、活動につながったのではないと思います。 【市長】  居心地はいいし、それを見て、またお客さまも当然、戻ってくるということですよね。 【山崎】  そうですね。まちおこしのことで視察に来る方は、経済効果はどのくらいですかと必ず聞かれますが、私たちが活動したことが何千万円プラスになったというのではなく、私たち女性が自分の意見を自分の口からはっきり言えるようになったことと、私たちだけではなく、会津の皆さんの頑張りで、270万人に落ち込んでいた観光客が、平成16年度は300万人になり、1万人くらいずつ増えていますというお話をしています。 |||共生していくまちづくり 【市長】  それでは、これからの課題は何でしょうか。 【山崎】  やはり皆さんが言われるように、経済効果というのは大事だと思います。私たちは、まず自分たちが生活しやすい環境づくりを一番に考えてやってきたわけですが、今後は、地元の会津大学と連携して、ITなどを使った情報発信をして、「アネッサクラブ」に日本全国どこからでもアクセスしていただき、楽しいことをしているところだな、行ってみたいと思ってくれることによって流動人口を増やしたいです。  それから、家族との共生、まちとの共生、行政との共生、若い世代との共生ということを考えていきたいと思います。さらに、共生ということでは、これからはユニバーサルデザインの時代になって、体の不自由な方が参加したり、知的障害者の方々とも一緒に考え、交流する必要があると思います。  何か加えればこうなる、ここのところをこういうふうに直せばということで、私たちは今までの活動をやってきました。まず話してみる。それが大きく花開く。皆さんを否定しないということだと思いますね。そうすると、自分たちの仕事も生きがいだけど、アネッサクラブの活動も生きがいということで、両方生きがいになっていくのではないかと思います。 【市長】  地域を大事にというと、やっぱり何かを掘り起こさなければいけない。でも、掘り起こすにしても、難しい本を読めば出てくるのでは、あまり意味がないので、だれもが見られる、ああ、そうなのかということが多くの人にわかるような仕掛けというのは必要ですよね。 |||さあ始めてみよう 【市長】  お話を伺って、地域に今あるものを、ちょっと視点を変えて見直しをして、やさしく提供し、PRしていくという、このアネッサクラブの視点は、日野宿通りの再生など、これからの日野のまちづくりにおけるソフト面のあり方にも随分参考になる部分があると思いました。特に、「女性の視点」と構えないで、何かそのままやっているところや応援団もどうぞといって、一緒に巻き込んでやってしまうところが、とてもいいと思いました。  様々な角度から、「あねさま」たちのまちおこしということで、女性の視点だけにとらわれず、それが全体のまちを変えていく。特にソフト面の大事さ、日ごろやっていることを、別な角度で提示していくことの大事さなどを教えていただきました。  初めに申し上げましたが、会津若松と日野は、新選組を中心にした関係があって、会津若松ほどではありませんが、日野も宿場の長い歴史があり、一生懸命掘り起しをして、今によみがえらせたいと思っています。  今日のお話を参考にさせていただき、女性のパワーを引き出しながらこれからの地域の活性化に励んでいきたいと思っています。  日野市にとっても、有意義なお話ができました。心から御礼申し上げます。ありがとうございました。 【山崎】  ありがとうございました。 ==山崎捷子(やまざきしょうこ)氏==  昭和14年福島県生まれ。会津若松市在住。(株)ホテルニューパレス代表取締役社長。アネッサクラブ顧問。会津若松市でホテルを経営するかたわら、商家の女性を中心とした集まりである「アネッサクラブ」の顧問(元会長)として活躍。中心街のそして会津若松市の活性化に女性の視点から様々なまちおこしに取り組む。 注1:蒲生氏郷(がもううじさと) 弘治2年(1556)〜文禄4年(1595)会津領主。本能寺の変で信長が亡くなると秀吉と信長の弔い合戦で戦功をあげる。天正18年(1590)小田原討伐の功で豊臣秀吉より会津拝領となり、秀吉の奥羽仕置を助けた。文禄2年(1593)黒川城を七層の大天守閣として鶴ヶ城と命名。郭内の町屋敷を郭外に移し新しい町つくりを行った。地名を若松に改め、酒・漆器などの殖産政策を行った。 注2:アネッサクラブ 会津若松市大町通りを中心に軒を連ねる商店街の女性で平成9年に結成。名前の由来は会津の言葉で商いをする「おかみさん」を意味する「あねさま」をもじった表現から。また、このネーミングには、古いものを大切にしながら新しい活動をしようという思いもこめられている。ホームページはhttp://www.anessa-club.jp/ 注3:のきさきギャラリー 店の一角をギャラリーに見立て、昔から伝わる家のお宝(調度品や民芸品など)を季節にあわせたテーマをもって飾る。歴史ある商人文化を見てもらい、そこからふれあいが生じ、元気で楽しい街並みづくりを行っていく活動。 注4:アネッサ憲章 一、私たちアネッサクラブは軒のつらなる店先に四季折々、会津の歴史や文化に彩られた「のきさきギャラリー」を展開します。 一、そのギャラリーを通してふれあいのある楽しく、居心地のいいまちづくりを目指します。 一、私たちは、会津のまちが日本の「ふる里」であり続けたいと願います。 注5:4つのどうぞ運動「お茶をどうぞ」「お荷物をどうぞ(おあずかりします)」「いすをどうぞ(お休みください)」「トイレをどうぞ(お使いください)」の4つであり、来訪者に対する心遣いの推進である。