田(た)勢(せ)康(やす)弘(ひろ)氏 ■プロフィール 昭和19年中国黒竜江省生まれ。山形県白鷹町出身。都立立川高校、早稲田大学第一政治経済学部卒業後、日本経済新聞社入社、 政治記者、ワシントン支局長論説副主幹兼編集委員等を経て、現在、日本経済新聞客員コラムニスト、 早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授。 平成8年日本記者クラブ賞受賞。主な著作は『指導力』、『ジャーナリストの作法』、『豊かな国の貧しい政治』など 〈1面からの続き〉 田勢 今、大学進学率が全国平均で50%を超え、2人に1人以上は大学に通っている。親も「大学ぐらい出してやらないと」と 一生懸命働いて仕送りをして、都会の学校にやろうとする。 しかし、子どもたちは親の心子知らずで、都会に出て全く勉強せず、働きもしない…。では親の跡を継いでふるさとで農業を するかというとそのようなことをやるつもりもない。だれもふるさとに戻って来ません。心まで中央集権化しているわけです。 これは大変なことです。ふるさとを少しも愛していないわけですね。ふるさとすら愛せない人間に、国を愛すことは出来ない。 だから何から直せばいいのか分からないぐらい大変な事態になっていると思います。 行政が先頭に立つまちづくりの時代はもう終わり 市長 この50年で、行政のあり方に激的な変化が起こっています。これまで我々は、いずれ良くなると右肩上がりのスタンスで やってきましたが、ここで改め、縮めるあるいは元に戻す…。そのような発想すらしなければいけないと思っています。 また、行政がリーダーシップをとるというよりも、日野市には意識の高い方がお住まいですので、むしろそういう方々に リーダーシップを発揮してもらい、市民参画とか協働という形をとりながら行政が裏で支えていくべきではないかと思っています。 田勢 私は、行政が先頭に立って引っ張ってまちづくりをする時代は、もう終わったと思います。理想を言えば、ちょっとした機会に 行政がバックアップしてくれていることに気付く…。本当は、そういうのが一番理想でしょう。 市長 市長になり12年が経ちました。私が行政のスタンスを変えたのは、平成12年のごみの問題に取り組んだ時です。 それまで、日野市のごみの排出量は三多摩ワースト1で、リサイクル率も最悪だった。これを何とか変えなくてはならなかった。 それで家庭ごみの有料化に踏み切った。当時は、たくさんの人から反発を受けましたが、皆さまにお願いして何とかうまくいきました。 これからの行政は、要望に応えて何かをするのではなくて、一緒にやりましょうというスタンスで、協力してくださる方々とうまく 協働していくことが必要だと感じています。 それぞれのまちにはそれぞれの歴史がある 市長 前の政権のときは道州制がすぐに導入されるような勢いがありましたが、この点はどうでしょうか。 田勢 道州制は賛成ですが、やはり、国から基礎自治体へお金が流れる仕組み、これを変えない限り、都道府県を無くして道州制に しても全く変わらないと思います。 大事なことは、やはり、そこに育った人、そこに移ってきた人たちが、ずっと住み続けたいと思えるような地域づくりをしていく。 住み続けたいと思う要素が一つでも二つでも増えていかないと駄目だと思いますね。 日野市は恵まれているから、当たり前になってしまっていて、良い要素を認識することが余計に難しいかもしれませんね。 市長 私が言うのも変ですが、日野市は環境もいいし、便利だし、住みやすいと思いますね。長く住み続ける人が多いし、 「いいまちですよ」と皆さまが言ってくれる。だけど、もう一歩、アピール出来る決定打がない。その辺が一番のジレンマです。 面積は小さいですが人口は17万人を超えていて、人口減少の時代ですが、マンションが建設され、若い人が増え、今後18万人ぐらい までになると思います。 私は、自治体の適正規模ということを常々考えるのですが、人口は、この程度がちょうどいいと思っています。 例えば100万人になると、基礎自治体本来の働きが出来ないのではという思いがあります。この規模ついては何かお考えはありますか。 田勢 財政的な側面からも、国の要請だけで貧乏な自治体同士がくっつくやり方は良くないと思います。 それぞれのまちには、それぞれの性格、歴史がありますから。食べ物も言葉も冠婚葬祭のやり方も全然違う。 私はずっとそれを言っています。 市長 そうですね。 初めから諦めちゃ駄目ですよね 市長 また、ここ数年のマイナス成長で、職員の減少や民間委託、サービスの削減などが続き、閉塞感を感じています。 次の世代に、「この時代も、面白いぞ」と思ってもらえるような何かヒントはありませんか。 田勢 そうですね、お金がないのは事実だけれども、お金がないと思い込み過ぎているのではないかと思います。 私の田舎は、山形のちっぽけな町で、初めから金が掛かることは出来ないとあきらめているようなところがありました。 最近ですが、町に音楽ホールが出来て、しかし、だれも運営するノウハウが全く無くて、どうすれば音楽家とか歌手とかが 来てくれるのかも全然知らないのです。縁あって、私がそのホールのこけら落としコンサートをプロデュースすることに なったのですが、お金をかけないでなんとか出来るものですよ。 もちろん私自身が現地で打ち合わせしたりする費用は全部持ち出しですが、持ち出しでやる人間は沢山いるんですよ。 ポスターも、絵の上手い人を探して描いてもらって、実費だけで印刷しているところを探して…。みんなが、家から食べ物を 一品ずつ作って持ち寄って、打ち合わせをしていました。 コンサート開催をインターネットで告知したら、山形の寒村で200人ぐらいしか入れないホールにもかかわらず、 全国から問い合わせをいただきました。初めから諦めちゃ駄目ですよね。 市長 参考になるお話ですね。 行政の守備範囲をまさに詰めていくとき 田勢 ところで、日野市の税収は、落ちているのですか。 市長 落ちています。特に、日野市の場合は、法人の税収に関して良い時は非常に良いのですが、悪くなると一気に10億も落ちて しまうことがありました。そういうことが起きると、通常の予算が組めなくなってしまいます。 人件費をもう少し削減するとか、補助金の問題など、行政の守備範囲をもっと詰めなければいけないと思いますね。 田勢 私は以前、ボストンに住んでいましたが、ボストンは相当大きなまちで、人口は300万人ぐらいですが、市の予算は本当に 小さかったです。自治体としてやるべきことは最小限しか行っていませんでした。 また、議会は夜に開催して、議員も別に仕事を持っていました。ボストンの市会議員の月給は、今は日本円で20万円ぐらいまで 上がったらしいですけど、当時は5万円ぐらいでした。 市民も仕事を終えてから傍聴に行くわけです。そういうふうになって行かざるを得ないのではと思います。 数を少なくするだけじゃなくて。 市長 なるほどね。また、最近の不況や行財政改革の流れから、例えば駐車場や、公共の施設利用など行政サービスについては、 受益をしている人にはそれなりの負担をしてもらいたいと思っています。すべて無料ではなく、ここまでは負担してくださいという 受益と負担のルールを、この際、きちんとしておかなければということです。その辺についてはどう思われますか。 田勢 行政がどこまでサービスを提供するか、だれがその費用を払うのかという問題、これは本当に悩ましいと思いますね。 基本的には「弱者とは」という定義をはっきりさせて、弱者はやはり救わざるを得ない、これは社会の責任だと思います。 それから、やはり負担と言えば、根本的に税制も考え直さなければと思います。特別措置がたくさんあり、控除される項目も やたら多くて、どうなっているのか全く分からない。もっとシンプルにすべきです。あと、やはり、消費税を引き上げざるを 得ないだろうと思います。 市長 その議論は、私も問われれば、やはり福祉目的税的な消費税をある程度増額しないとやっていけないだろうと思います。 しかし、政治の世界には選挙がありますから、なかなか正面切って、特にマニフェストなどでは言いにくい。 その辺が難しいところですね。 田勢 しかし、響きのいい政策や選挙目当てみたいなことばかりやっていると、そういう政党は必ず信用を失っていくと思います。 それほど国民、有権者は馬鹿ではありません。国と地方で800兆円もの借金を抱えて、現状はもう分かっているわけですから。 市長 まちの将来を見据えると、このような状況を分かってくれる市民、つまり、それぞれの権利と責務を自覚した市民、 私はあえて公民と呼ばせていただきますが、その方々との連携・公民協働で、日野市のまちづくりをしていくようになればと 思っています。 〈3面へ〉