特集号紙面から 50周年記念祭概要 2・3面 日野市50年の歩み 4面 11月3日・4日は50周年記念祭会場前の道路が通行止めになります 4面 11月3日日野市は市制施行50周年を迎えます みんなで元気に!〜ひとつになろう日野〜 市制施行50周年 次の50年の日野人の新しい未来を拓くために 日野市長 大坪 冬彦 11月3日、日野市は市制50周年を迎えます。 日野市が現在の姿になるまでに3回の節目がありました。 1回目は明治22年の市制・町村制施行により日野宿・桑田村・七生村が誕生したこと。 2回目は明治34年に日野宿と桑田村が合併して日野町となったこと。 3回目は、昭和33年に日野町と七生村が合併し新しい日野町となったことです。 その日野町が昭和38年11月3日に全国で559番目の市=日野市となりました。 当時の人口は5万5,595人で、平成25年10月1日現在の人口17万9,348人と比べると隔世の感があります。 当時の日本は高度経済成長の真っ只中で、翌年には東京オリンピックが開催されます。 その後の日野市はJR中央線・京王線に加えて、念願だった南北交通網である多摩都市モノレールも開通し、 12の鉄道駅がある、都心への通勤通学の利便性が高いベッドタウンとして発展していきます。 その一方で多摩川・浅川という河川が流れ、約110キロにわたる用水路や湧水に恵まれた水の都でもあります。 加えて多摩丘陵の一翼を担う緑地や崖線の緑にも恵まれ、“緑と清流”がまちの看板になっていきます。 また、「日野五社」とも言われた大手企業の本社・工場を中心に、小さいけれど高い技術を持ったものづくり企業が集まる工業のまちでもあり、 一時は工業出荷額が東京都内で首位となったこともあります。 さらに、高幡不動尊・百草園・多摩動物公園といった都内でも有数の観光資源に恵まれ、年間数百万人の観光客が訪れます。 ここ最近は新選組の副長・土方歳三、六番隊隊長・井上源三郎の生まれたまち「新選組のふるさと」を発信し、 毎年5月に行われる新選組まつりには全国から大勢の熱心な新選組ファンが集います。 そんな多面的な顔を持つ日野市が今年市制施行50周年を迎え、「みんなで元気に ! 〜ひとつになろう日野〜」をスローガンに掲げ、 さまざまなイベントを実施します。 市を挙げて市制施行50周年を祝うとともに、これを機に、今後を見据えて次の世代に引き継ぐ「日野市らしさ」とは何か 改めて見つめ直す機会ともしたいと思います。 急激な少子高齢化の波は日野市にも確実に訪れます。2015年には人口減少が始まり、 27年後の2040年には3人に1人が65歳以上の高齢者が占めるまちとなることが予想されています。 そんな近未来を見据えて、市民の皆さまとともに活力ある持続可能な都市の実現に向けて全力を尽くしていきたいと思います。 次の50年の日野人の新しい未来を拓くために。