養育家庭インタビューを実施しました

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ページID1015255  更新日 令和4年3月28日

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養育家庭インタビューを実施しました

 

養育家庭とは

養子縁組を目的とせずに、いろいろな事情により家庭で暮らすことができない子どもを、一定期間養育する家庭のことです。東京都では「ほっとファミリー」とも呼んでいます。東京都に合わせて、市では、10・11月を養育家庭推進月間と位置付けています。

インタビューについて

市民の皆さまに養育家庭について知っていただくため、今回、養育家庭の小倉さん宅(八王子市)にて、元里子の鯨井さんをお迎えしてインタビューを行いました。

養育家庭にご興味のある方へ

養育家庭についてのご相談や問い合わせは管轄の八王子児童相談所(☏042-624-1141)へお願いします。

 

インタビュー本文

インタビュー対象者プロフィール

元里子・鯨井俊介(くじらいしゅんすけ)さん  小倉家で中学~高校の6年間を過ごす。現在は芸能活動を行っており、ダンス&ボーカルグループ「BREAK THROUGH(ブレイクスルー)」のリーダーを務める。

写真:元里子のアップ

里親・小倉艶子(おぐらつやこ)さん  里親として、さまざまな事情の子どもを約17年間に20人ほど受け入れてきた。鯨井さんが里子第一号。鯨井さんより年上の実子が5人いる。

写真:里親のアップ

一番印象に残っているエピソードは何ですか?

鯨井さん 何事も最初が一番印象的なので…児童相談所に中学二年生の頃に行って、生活していて、歳の近い子と話していて、この場所はどういうシステムなのかとか知らないし、わからないので。いつまでいるんだろうと。ずっと小学生の勉強とかを順繰りやっていて。

一カ月経たないくらいの時に、職員の人に施設に行くか、里親というシステムもあるよという話が出たんです。ただ僕、施設の経験はあったんですよ。2歳から6歳まで過ごして、それも楽しかったんですけれど、何となく里親というのがあるんだったら、じゃあ里親で、ということになって。

そうしたら、数日くらいたったとき、こっちへ来てくださいと生活スペースとは別の面談室みたいなところに呼ばれて、初めておばさんと会ったんです。イメージの中では本当に「優しいおばさん」が現れたな、という感じで。50~60歳くらいの。まんまイメージ通りの人だなと。それは今も変わらないんですけれど、安心したこともあって、それでお願いすることになりました。

写真:元里子が話す姿

小倉さん いきさつがあって私と出会ったんだね。里親側は、あまり(里子の)前のことは聞かないんですよ。親がどうだったとか。児童相談所から、依頼を受けるんです。やっていただけますか?と聞かれて、ああ、いいですよ、と。

 

鯨井さん 早かったです、決まったのが。一カ月くらいだったと思います。

 

小倉さん この子が第一号だったんです。当時うちは実子がまだいたんです。実子の方が歳上で。全員男の子で5人いるんです。それで順繰り里子が来て、2人の時もあったし、3人の時もあったし…。

この子は、優しかったです。シャイっていうか、穏やかな話し方で。人前に出るのも苦手だったよね。今は、仕事としてやっていることと自分自身がつながっているなと。そのままでいなさいよ、と。今はすっかり大人の会話ができるようになりました。

 

養育家庭にいて、嬉しかったこと、楽しかったことは何ですか?

鯨井さん 一人っ子なので、兄弟とかいいなと思ってたんですけど、いきなりお兄ちゃんが5人出来た感じで。一番下が、大学3年か4年で、全員成人していて。弟が一人またぽんと出てきたなという感じで、慣れていました。さみしくなかったです。一人でいることがない家で。一人でいたいとかそういうこともなかったですし。

おばさんは僕を引き取って、まずは朝ご飯を食べなさいと。小学校の時は学校も行けていなくて、本当に「普通の家庭」はこういうものだよ、と経験できたのが良かったです。最初は慣れていないんで徐々に慣れていく感じでしたけど、これが生活なんだな、と自分でこれだなと客観的に気付けたのが嬉しかったです。

あとは、これもお父さんが言うんですけれど、工場があってそこに行くのが旅行みたいで、楽しかったです。

 

小倉さん そうなんです。お父さんは事業家で、自分で事業をやっていて、津久井なんですけれど。そこに行くとまた全然環境が違っていて、うちの里子たちは、半分はそこで生活しているかな、これが我が家の特徴かな、と。特典ですね。お兄ちゃんたちがいて、ものづくりをして仕事をしていて。普段はこの家にいて学校に行って、中学校に行って。すぐそこですからね。

私にとって、この子との嬉しかったことは、まず朝起きるという習慣づけ。まずは早起きして朝ご飯を食べることからと思って、二人で早起きして新聞配達をするようにしました。1時間とか、近所だけとか、あんまり頑張らないでできる、無理のない範囲でしたけれど。

 

鯨井さん 兄たちもやってたんだよと言われて。そういわれたらやるしかないかと。

 

小倉さん あまり覚えていませんが、5~6年か、いる間はやっていたと思います。そこからシャワーを浴びて、朝ご飯を食べて、学校へ送り出す、という習慣でした。何か一つ、2人だけの時間を持てたのもよかったのかな。言葉でいうよりたたき起こして…今思えば楽しかったです。

 

写真:元里子と里親の2ショット

つらかったことはありますか?

鯨井さん 特にないですかね…ないなぁ。

 

小倉さん あんまりつらいとかなかったというか、あんまり気を入れてやってない。立派に育ててとか、そういうのだと大変だけれど。

でも、お父さんにさ、一度、叱られたの覚えてる?お父さんが怒った時の事。きっかけは何だったかわからないけれど、後にも先にもあの時だけだったよね。

 

鯨井さん ああ、覚えてる覚えてる。なんか、好き嫌いがあったんですよ。当時、高校生くらいの時、食わず嫌いとかいろいろあって。ちょっと食べられないなあ、って「これ嫌いー」って言って。お父さんが「いや、たくさん食べるものあるでしょ」というのに、「やだ、いらない」と言っていたら、態度も悪かったんだと思うんですが、怒られました。

 

小倉さん こういう子供を育てようとか話したこともなかった夫婦なので、怒った時にはびっくりしました。ああした方がいい、こうした方がいいという人じゃなかったので。やっぱり覚えているんだね。でも、言うべきことは言うものですね。だって私たちが言わなかったら、言ってくれる人もいないし、わからないままになっちゃうから。

 

鯨井さん あとは…(つらかったのは)早起きくらいですかね。

 

小倉さん 私も、つらかったこととか苦しかったことは忘れるのかな。あんまり覚えていないです。それよりも2人でやった、楽しかったこととかの方が覚えています。

 

頑張ったと思うことは何ですか?

鯨井さん 学校にちゃんと行ったことくらいですかね。中学はすぐ目の前だったので行けるけれども、高校は電車に乗っていかなければならないので。そんなに休まずに毎日行っていました。

 

小倉さん そんなにっていうか、ほとんど休まずに行っていたよね。毎日学校は行っていました。

 

鯨井さん 受験は頑張っていないんですよ。定員割れを狙って、行く高校もどうしようと思って、新聞とか見て。おばさんに相談して、定員割れだからチャンスだよ!ってアドバイスをもらいました。願書は既に出していたんですが、取り下げてすぐそこにして。

 

小倉さん 中学校、高校と、また保護者やらせてもらったのは、こんないいことはないですね。何かあれば学校まで、自転車で行っていましたね。

 

鯨井さん あとは、そういう制度として、元々18歳で出ていかなければならないことは、それが早い段階から知っていたので。それに向けてどうしようかと考えたりはしていました。高校の最後の1年とかどう出ていくか、考えなきゃいけないなあ、と、ちょっと大変だったかもしれない。特にプランとかもわからないし、大学にも行く気はなかったので、最初は小学校時代の友達の家に住んでいたりしたんですけれど、結局一人暮らしをしなきゃいけないので。どうしようってときに、少しずつたまっていた新聞配達のお金を渡してくれたんです。

 

小倉さん それは覚えています。これだけやったことは形にしてやりたいと思っていました。お金なんて手元にあればすぐなくなってしまいますよね。当時は渡しませんでした。頑張って新聞配達をしていたことを形にしたいとは思って、貯めていたんですけれど、当時は特にお金をくれとも言わなかったんですよ。おばさんのいうことは聞くものだと思っていたのか分からないですけれど、信頼してくれているのがわかって嬉しかったですね。出ていくときに渡して、喜んでくれました。それをもとにして、自立していくときには、軽トラにこたつとかを積んでいったよね。お兄ちゃんに手伝ってもらって。それからたまには正月来たりしていたけど、バイトをしながら基本的に自立していました。

今思えば、高校生時代は自分で使うお金を稼ぐために、よくアルバイトをしていましたね。食べ物屋はまかないがもらえるし、食いっぱぐれないといって。今振り返ると、お前はよくやったよね。すれもせず本当によく頑張っていたね。おばさんそれ違うだろ、とも言わず。

すぐそこにスーパーがあるんですけれど、夕方に行くと割引になっていて、この子はお茶がすごく好きなんですよ。ちゃんと急須で入れたお茶が好きで、もちろん私も好きですし、買ってきたもの食べながら、2人で飲んでいたのが、楽しかったですね。

で、そのうちにころころ(新しい里子さんが)来たんだよね、ちょっと写真持ってきて。…こんなときから(他の子を)かわいがって。(下の里子さんは)お兄ちゃんにかわいがってもらいましたね。

写真:話す里親を見つめる元里子

最後に、鯨井さんから里親さんに一言があればお願いします。

鯨井さん 何かこう、特別なものは別に要求もされていないですし、頑張んなきゃいけないものはないというのが、今の自分につながっています。無理して頑張らずに、自由にやってという感じ。好きなもので食っていければいいよって送り出してくれました。人格形成に付き合ってもらったな、という感じです。

他の養育家庭はわからないけれど、小倉家でよかったなと思います。場合によってはうまくいかないこともあるのかもしれないけれど、最後までいさせてもらったので。昔からの呼び方で今も「おばさん」と呼んでいるけれど、母であって、6番目の息子だと思っています。この出会いがなかったら、ずっと一人だったので。本当に、一人だったと思うので。

僕は実際のお父さんもお母さんもわからないですし、ありがとうももちろん言うけれど、ただのありがとうというより、実の親や家族への育ててくれてありがとうとはまた違う。言葉が見つからないけれど、一緒にいてくれてありがとう、という気持ちです。

 

小倉さん こっちもですよ。出会いって、計画しているわけでもなく、こうしたいと思っているわけでもなく、突然のもので。これでよかったんだな、と。肩に力をいれずに。

 

鯨井さん 今の仕事も気を張っていないです。そのまま出て、そのままやって。与えてもらってきた分、自分も何か人を助けるとか、できることはないか探して、何かホスピタリティとか、何でもいいから何か与える人になりたい。今は人が笑ってくれればいいやと、明るい仕事しようって思っています。小倉イズムだと思うんですけれど。好きなことで飯を食っていけたらそれでいいかなと思っています。

 

小倉さん 私たちの生き方そのものが、それぞれ好きなことで飯を食うという感じで、成長させてとか、そういうものではなく。いい空気が流れているのかな、やっぱりお父さんの子どもだから。

 

鯨井さん お父さん、あんまりしゃべんないけど(笑)

 

(*一部編集しております)

写真:里親と元里子の笑顔の2ショット

このページに関するお問い合わせ

子ども部 子ども家庭支援センター 地域支援係・相談援護係
直通電話:042-599-6670
ファクス:042-599-6671
〒191-0031
東京都日野市高幡1009の4
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