日野の歴史
早くも約50,000年前の先土器時代から、多摩丘陵に人々が住み始め、縄文早期(約10,000年前)には、日野台地周辺に集落ができました。縄文後期になると低地にも人々が移り住むようになり、その後、6世紀ごろには、大規模な集落が形成されるようになります。
平安時代後期、京から来た日奉宗頼が日野に土着して、西党と呼ばれる武士集団の祖となります。西党日奉一族は多摩川沿いに展開し、市域とその周辺には、多西(西)・高幡・上田・田口・平山・土渕・田村・立河などの各氏が見られ、中でも平山季重は、源氏に従って一谷の合戦等で武功をたて、その勇猛果敢ぶりが広く知られた武将でした。
また古代末期から中世にかけて、現在の百草園一帯には、鎌倉幕府にとっての「祈祷の霊場」であった真慈悲寺が存在していたことが次第に明らかになってきました。
中世の日野市域は、船木田荘と吉富郷・得恒郷・土渕郷から成っており、鎌倉時代後半から戦国期にかけては、高幡高麗氏の一族が高幡不動周辺を始めとする浅川流域を支配していました。
高幡山金剛寺(高幡不動)は、多くの文化財があることで知られ、四季を通じて参詣客が絶えない市内随一の古刹ですが、建武2年(1335)の大風によって甚大な被害を受け、暦応2年(1339)~康永元年(1342)にかけて、別当儀海上人、大檀那高麗助綱らにより大規模な修復が行われました。
▲高幡不動尊の五重塔
不動堂本尊の不動明王坐像(国指定重要文化財)内には、以前から文書が納入されていたことが知られていましたが、近年の調査によって、それらが、北朝方として常陸合戦に出陣した山内経之の手紙を多く含んだものであることがわかりました。手紙には、合戦の苦しさや留守中の家族や領地に対する心配が綴られており、片面には不動明王や大黒天が印仏されています。高幡不動像内文書は、おそらく合戦で討死した山内経之の供養のため、故人の手紙に印仏し、修復されたばかりの不動明王に納入されたのではないかとも考えられています。
永禄(1558~1570)の頃から日野市域は小田原北条氏の支配下に入り、北条氏照は滝山城、のちに八王子城を拠点に多摩地域の開発を積極的に進めました。美濃国から移住してきた佐藤隼人は、永禄10年(1567)、北条氏照の協力の下で日野用水を開削しました。また天正14年(1586)の文書には「日野惣郷」の名がみられます。
江戸幕府が開かれると、日野市域は幕府直轄地と旗本領となり、慶長10年(1605)甲州街道が整備され、日野宿が置かれました。
▲甲州街道日野宿問屋場・高札場跡に建つ碑(日野図書館前)
貞享元年(1684)、日野宿の助郷村42ケ村が定められ、現在の市域の大部分の村が含まれました。同年、万願寺の渡しが上流の日野の渡しに変更され、渡船場は日野宿の経営となりました。
享保8年(1723)には、武蔵野新田開発の一環として、高倉原(日野市多摩平、富士町、旭が丘、日野台、さくら町、八王子市高倉町近辺)が開発され、日野地域の農業生産力は一段と高まります。
江戸時代後期になると、関東の農村で荒廃が目立ち始めたため、文化2年(1805)、幕府は関東取締出役を設置し治安維持の強化に務めました。文政10年(1827)には、取締組合村を作るよう幕府からの通達があり、文政12年(1829)には、日野宿を寄場とする日野宿組合村が組織されました。
幕末になると、度重なる外国船の来航に伴う幕藩体制の動揺などで治安がさらに悪化し、日野宿では、問屋(日野本郷名主兼帯)佐藤彦五郎の天然理心流への入門をきっかけに、剣術が盛んになりました。
▲現在公開中の日野宿本陣
当市出身の土方歳三と井上源三郎は、佐藤道場で出会った近藤勇や沖田総司らと共に上洛し、尊王擁夷の嵐が吹き荒れる幕末の京都で新選組を結成しました。新選組は京都の治安維持に尽くしましたが、やがて徳川幕府は崩壊し、井上源三郎は鳥羽伏見の戦いで、土方歳三は箱館で亡くなりました。
▲高幡不動尊にある土方歳三像
明治にはいると、多摩地域は神奈川県に属することになりました。明治22年の市制・町村制の施行により、日野宿(上宿、中宿、下宿の町場と東光寺、四谷、北原、下河原、万願寺、谷戸、仲井、山下の枝郷からなる)、桑田村(豊田、川辺堀之内、上田(かみだ)、宮、万願寺、下田、新井、石田の各村が合併)、七生村(平山、南平、高幡、程久保、三沢、落川、百草の各村が合併)が誕生し、明治26年多摩地域が東京府に編入され、日野宿は「日野町」に改められます。明治34年、日野町と桑田村が合併。この間の明治22年、甲武鉄道(現在の中央線)の新宿から八王子間が開通し、翌年日野駅が開設されました(豊田駅の開設は明治34年)。大正14年には、府中-八王子間に玉南電気鉄道(現在の京王線)も開通しています。
昭和にはいると、世界恐慌のあおりを受けて昭和恐慌に陥りますが、日野町ではこの打開策として工場誘致を展開しました。昭和10年前後には、「日野五社」を始めとする企業の進出が続き、周辺地域から注目を集めました。
一方、農業恐慌下の七生村は、農村経済更生運動の波に乗り、昭和7年、経済更生村に指定されました。昭和14年には東京府拓務訓練所が開設され、昭和20年には、分村計画のあった七生村の勤労奉仕隊員たちが満州の新京東京報国農場へ渡りました(幾多の苦難を乗り越え、昭和21年8月帰国)。
米軍機の本土空襲が激しくなった昭和19年には、日野にも都内赤坂区や、品川区から児童が疎開してきました。市域は幾度かの空襲に遭っていますが、最大だった昭和20年4月の空襲では、死者28人を出しています。
昭和33年、日野町と七生村が合併し、新しい日野町となりました。そして昭和38年、市政が施行され「日野市」となりました。この時、55,595人だった人口は、その後急激に増加し、昭和58年には15万人を越えましたが、近年この人口増加も落ち着きをみせています。
▲毎年5月に行われる「ひの新選組まつり」
現在では、先端技術産業が立地する一方で、公共施設の充実や都市基盤の整備などが進められ、17万人の市民が住む自然に恵まれた住宅都市としてさらなる発展を続けています。
▲日野市役所の屋上から見た日野市街(多摩平・豊田方面)
歴史年表
| 先土器 | 約50,000年前、多摩丘陵に人々が住み始める | ||
| 縄文 | 中期 | 約10,000年前、日野台地に集落ができる | |
| 後期 | 約3,500年前、日野の沖積地にも人々が移り生活する | ||
| 弥生 | 末期 | 日野台地の神明上地域に集落が出来る | |
| 古墳 | 前期 | 集落が増加する | |
| 中期 | 平山遺跡に大きな円墳が造られる | ||
| 後期 | 日野台地の斜面に横穴墓ができる | ||
| 沖積地の開発が盛んになり、大規模な集落が営まれるようになる | |||
| 奈良 | 日野の各地域に集落ができる | ||
| 平安 | 日野の西党を始め武蔵七党が発生する | ||
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1184年 元暦元年 |
平山季重、源義経に従い宇治川、一の谷の合戦に参戦
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| 鎌倉 |
1250年 建長2年 |
「武州多西郡真慈悲寺」等の背銘がある銅造阿弥陀如来坐像が鋳造される 瓦葺き堂宇が建立される |
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| 南北朝 |
1342年 康永元年 |
高幡不動堂、山下の現在地に再建 | |
| 室町 |
1455年 康正元年 |
上杉憲顕、足利成氏と高幡・分倍河原で戦い、敗れて高幡不動で死す | |
| 戦国 |
1567年 永禄10年 |
日野の佐藤隼人、日野用水を開削 | |
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1570年 元亀1年 |
日野宿で後北条氏による屋敷検地が行われる | ||
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1586年 天正14年 |
北条氏照が、日野惣郷に竹林伐切を禁じる | ||
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1588年 天正16年 |
北条氏照、三沢衆を八王子城に召集 | ||
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1590年 天正18年 |
豊臣秀吉、落川、三沢、高幡、河辺村に禁制下す | ||
| 徳川家康、関東入国に際し、八王子に代官所を設ける。 八王子とその周辺に、千人同心を配する。 |
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| 江戸 |
1605年 慶長10年 |
甲州街道が整備され、日野宿定まる | |
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1684年 貞亨元年 |
日野宿助郷42ヶ村定まる。日野渡船場、日野宿経営となる | ||
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1685年 貞亨2年 |
多摩川の川運上が定められ、御菜鮎の上納が行なわれる | ||
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1723年 享保8年 |
武蔵野新田の一環として、高倉原の新田開発が行なわれる | ||
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1809年 文代6年 |
大田南畝(蜀山人)が勘定奉行配下の役人として 多摩川巡視中に日野宿名主佐藤彦右衛門方に立寄り 「蕎麦の記」を記す |
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1829年 文政12年 |
日野宿を寄場として組合村(日野宿組合)が組織される | ||
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1846年 弘化3年 |
日野の渡しで渡船が転覆。30人余が流死。 | ||
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1863年 文久3年 |
幕府が関東の農兵取立てを実施し、日野農兵隊が できる |
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1863年 文久3年 |
土方歳三ら京都において新選組を組織する | ||
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1866年 慶応2年 |
日野農兵隊多摩川築地河原で、武州一揆支隊を撃退する | ||
| 明治 |
1868年 明治元年 |
鳥羽・伏見の戦いで、井上源三郎戦死。 甲陽鎮撫隊が勝沼の戦いで敗れる |
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1869年 明治2年 |
新選組副長土方歳三、箱館戦争で戦死 | ||
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1871年 明治4年 |
神奈川県に編入 | ||
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1873年 明治6年 |
日野学校(現日野一小)、潤徳学校などの小学校が開校 | ||
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1874年 明治7年 |
日野郵便局開局 | ||
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1878年 明治11年 |
多摩郡が西南北の3郡に分割され日野は南多摩郡に属す。 初代郡長に日野宿の佐藤俊正が任命される。 |
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1882年 明治15年 |
日野市域でも自由民権運動が盛んになる | ||
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1887年 明治20年 |
百草園開園 | ||
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1888年 明治21年 |
日野煉瓦工場設立。甲武鉄道へ煉瓦供給 | ||
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1888年 明治21年 |
金剛寺(高幡不動)境内に近藤勇と土方歳三を 顕彰した殉節両雄之碑が建立される |
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1889年 明治22年 |
甲武鉄道(現JR中央線)開通。 日野宿・桑田村・七生村が誕生 |
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1890年 明治23年 |
日野駅が開設される | ||
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1893年 明治26年 |
三多摩が神奈川県から東京府に編入。日野宿を日野町と改称 | ||
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1901年 明治34年 |
豊田駅が開設される。日野町・桑田村合併 | ||
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1906年 明治39年 |
甲武鉄道国有化 | ||
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1910年 明治43年 |
南多摩郡豊田耕地整理組合発足、豊田の耕地整理 事業が始まる |
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1911年 明治44年 |
林丈太郎が平山陸稲を発見する | ||
| 大正 |
1916年 大正5年 |
東京電燈株式会社の電灯がともり始める | |
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1923年 大正12年 |
浅川に高幡橋完成。関東大震災 | ||
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1925年 大正14年 |
玉南電気鉄道 (現在の京王線)開通。市内に3駅をおく | ||
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1926年 大正15年 |
日野橋開通 | ||
| 昭和 |
1932年 昭和7年 |
七生村が経済更正指定村となる | |
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1934年 昭和9年 |
このころより市内に大工場ができ始める | ||
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1937年 昭和12年 |
中央線複線化、日野新駅開設 | ||
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1938年 昭和13年 |
学生の勤労動員始まる | ||
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1939年 昭和14年 |
七生村に東京府拓務訓練所が開設 | ||
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1945年 昭和20年 |
空襲により上田・宮・下河原(日野)で爆死者あり | ||
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1947年 昭和22年 |
日野中学校 (現在の日野一中)・七生中学校開校。農地改革始まる | ||
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1948年 昭和23年 |
日野警察署・日野消防署発足 | ||
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1958年 昭和33年 |
日野町・七生村合併。多摩平団地入居開始。都立多摩動物公園開園 | ||
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1961年 昭和36年 |
町立国民健康保険病院(現在の市立総合病院)開設 | ||
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1963年 昭和38年 |
市制施行。全国559番目。人口55,595人 | ||
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1965年 昭和40年 |
市立図書館設置 | ||
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1966年 昭和41年 |
中央公民館開設 日野高校開校 |
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1967年 昭和42年 |
中央自動車道、調布、八王子間開通 | ||
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1969年 昭和44年 |
日野保健所開設 | ||
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1970年 昭和45年 |
市の人口10万人突破。カドミウム汚染米発見される | ||
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1971年 昭和46年 |
ヒノクジラの化石発見 | ||
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1973年 昭和48年 |
中央図書館オープン | ||
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1974年 昭和49年 |
市営水道事業が東京都に統合される | ||
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1977年 昭和52年 |
市役所庁舎新築・移転 | ||
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1979年 昭和54年 |
休日準夜診療所を開設高齢者事業団(現シルバー人材センター)が発足 市民自治学園を開講 七生支所移転 七生公会堂を併設 |
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1980年 昭和55年 |
「日野市緑化月間」を制定 日野台高校開校 駒形の渡し始まる |
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1981年 昭和56年 |
平山中学校で中学校給食開始勤労者互助会がスタート | ||
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1982年 昭和57年 |
市立婦人センター(現在の男女平等推進センター)開設 | ||
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1983年 昭和58年 |
市民憲章市歌制定 | ||
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1984年 昭和59年 |
多摩動物公園コアラ公開 | ||
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1985年 昭和60年 |
南平高校開校 市民会館オープン 住民登録事務電算化 公共下水道、南多摩処理区供用開始 |
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1987年 昭和62年 |
市民陸上競技場完成 在宅老人ケア事業スタート |
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1988年 昭和63年 |
生活・保健センターオープン | ||
| 平成 |
1989年 平成元年 |
老人入院見舞共済制度発足 立日橋開通 南平丘陵公園オープン 東部会館開設 ふるさと博物館開館 |
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1990年 平成2年 |
多摩川の河床からゾウのキバの化石が発見される 特養老人ホーム・浅川苑開園 中学校給食完全実施 百草図書館開館 |
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1991年 平成3年 |
市立乗鞍高原「日野山荘」開設 万願寺歩道橋(ふれあい橋)開通 ▲ふれあい橋 |
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1992年 平成4年 |
浅川スポーツ広場完成 精神薄弱者の生活寮「グループホームこばと寮」開設 日野駅西駐輪場開設 |
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1993年 平成5年 |
市立八ヶ岳高原「大成荘」改築オープン 日野市防災情報センター開設 |
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1994年 平成6年 |
日野市市民参加の推進に関する要綱制定施行 市立栄町高齢者在宅サービスセンター開設 日野市・多摩市・稲城市を管轄する日野税務署新設 金剛寺の木造不動明王像・二童子像・不動明王像内文書が、 国指定重要文化財となる |
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1995年 平成7年 |
国土庁により日野市が「水の郷」に選ばれる 高幡不動駅~一番橋~日野駅間のバス路線開通 |
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1996年 平成8年 |
ひの男女平等社会推進プラン策定 日野市普通河川等管理条例施行 |
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1997年 平成9年 |
鳥と緑の国際センター開設 休日歯科応急診療所を開設 |
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1998年 平成10年 |
福祉支援センターを開設 男女共同参画都市宣言 |
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1999年 平成11年 |
インターネットホームページを開設 |
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市民課(現在の市民窓口課)豊田駅連絡所開設 ひの市民大学開校 |
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| 2000年 平成12年 |
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2001年 平成13年 |
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| 2002年 平成14年 |
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| 2004年 平成16年 |
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▲新選組フェスタin日野万願寺メイン会場
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| 2005年 平成17年 |
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▲旭が丘中央公園にあるたきびの碑
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2006年 平成18年 |
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| 2007年 平成19年 |
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