土方歳三ってどんな人? ■そもそも土方歳三は何をした人なのか。 歳三の生涯と彼が生きた時代についてまとめておこう。 ◆日野から京都へ 新選組結成! 土方歳三は1835年、武蔵国多摩郡石田村(いしだむら)(現在の日野市石田)の裕福な農家に、10人兄弟の末子として生まれました。 日野の人々は幕府への忠誠心が強く、また、自衛のために、剣術の稽古が盛んに行われていました。 歳三も武士に憧れ、姉の夫で日野宿名主・佐藤彦五郎(さとうひこごろう)が開いた道場に通うようになります。 そこで後に歳三とともに新選組(しんせんぐみ)の主要メンバーとなる近藤勇(こんどういさみ)、 井上源三郎(いのうえげんざぶろう)、沖田総司(おきたそうじ)たちに出会います。 歳三が生きた時代は、江戸幕府が終わりを迎えつつある「幕末」の時代でした。 歳三が十代の頃に黒船が来航、圧力を受けた幕府はついに開国を決断しますが、それに対し地方の藩からは不満が出始めます。 特に京都では治安が悪化し、幕府は上洛する将軍を警護するための浪士組を募集し、歳三たちもこれに加わり京都へ向かいます。 この浪士組を母体に結成されたのが新選組です。 近藤勇が局長、歳三が副長となり治安維持に活躍。 特に1864年の池田屋事件では潜伏していた尊王攘夷派(そんのうじょういは)を襲撃し、新選組の名声は天下にとどろきました。 ◆幕府のために戦い誠を貫いたラストサムライ 開国以来の混乱はいよいよ幕府の土台を揺るがします。 新政府を立ち上げ新しい日本を作ろうという機運が高まり、1867年、政治の実権を天皇に返還(大政奉還(たいせいほうかん))。 さらに天皇を中心とする政治に戻す宣言が出されました(王政復古(おうせいふっこ)の大号令)。 これに反発した旧幕府軍と新政府軍が衝突、戊辰戦争(ぼしんせんそう)が始まります。 歳三たちは旧幕府軍に合流し戦いますが、敗戦が続き、北へ、北へと転戦していきます。 そのなかで近藤勇が新政府軍に捕らえられ、長年を共にしてきた二人はついに別れを迎えます。 近藤を失った後も歳三は旧幕府軍の司令官の一人として戦いましたが、箱館(函館)での激戦で銃弾に倒れ、生涯を閉じました。 旧幕府軍は降伏、その後、日本は近代化へと突き進みます。 農家に生まれながら、武士の時代の終わりに誰よりも武士らしく生き、剣と類まれな統率力で軍の司令官にまで上り詰めた歳三は、 日野が生んだ幕末のヒーローなのです。 ■土方歳三年表 ◆日野時代 1835年5月…武蔵国多摩郡石田村(現在の東京都日野市石田)に生まれる 1853年6月…ペリーが浦賀に来航 1858年6月…日米修好通商条約を結ぶ 1859年…天然理心流(てんねんりしんりゅう)に入門 1860年3月…桜田門外の変 ◆京都時代 1863年2月…近藤勇、沖田総司らと将軍を守るための浪士組に参加し京都へ向かう 3月…壬生浪士組(みぶろうしぐみ)を結成 8月…八月十八日の政変で活躍「新選組」と命名される 9月…芹沢鴨(せりざわかも)を暗殺 1864年3月…新選組が京都の警護を正式に命じられる 6月…池田屋事件で新選組が一躍有名になる 7月…禁門の変で新選組が活躍 1866年12月…徳川慶喜が第15代将軍に 1867年10月…大政奉還 11月…京都で坂本龍馬らが暗殺される(近江屋事件) 12月…王政復古の大号令 ◆旧幕府軍として北へ転戦 1868年1月…鳥羽伏見(とばふしみ)の戦いで戊辰戦争が始まる 4月…江戸城無血開城 千葉・流山で近藤勇が新政府軍に投降。後に処刑される 5月…沖田総司が病気で死亡 9月…元号が「明治」に 1869年5月…箱館戦争で34歳で戦死戊辰戦争が終わる ※太文字は土方歳三・新選組に関わる出来事(新選組のふるさと歴史館による) ■戊辰戦争からの歳三の足跡(1868年1月開戦) 京都●1月 鳥羽伏見の戦い 新選組として旧幕府軍に加わるが、新政府軍に敗退する 大坂(大阪) 生き残った新選組隊士たちと船で江戸へ 江戸(東京) 故郷の日野に立ち寄りふるさとの人たちと会う 勝沼(山梨)●3月 勝沼の戦い 甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)として近藤勇が率いて戦うが新政府軍に完敗 流山(千葉)●4月 近藤勇が新政府軍に投降し、捕らえられる 会津(福島)●4~9月 会津戦争 仙台(宮城) 旧幕府軍海軍副総裁の榎本武揚に合流 榎本武揚とともに北海道へ 箱館(北海道)●10月~1869年5月 箱館戦争 五稜郭を占拠するが、銃弾に倒れ戦死 ■土方歳三を知る5つのキーワード 歳三の故郷・日野には、人々の間で伝えられてきた逸話が数多く残ります。5つのキーワードで紹介。 キーワード1 佐藤彦五郎(さとうひこごろう) 日野宿名主で歳三の義兄にあたります。 自宅兼本陣に剣術の道場を開き、歳三、近藤勇らが出会う場を作り、歳三たちが京都へ行ってからも新選組を支援し続けました。 歳三たちの死後は顕彰碑建立に尽力するなど新選組に大変ゆかりの深い人物です。 キーワード2 天然理心流(てんねんりしんりゅう) 近藤内蔵之介(こんどうくらのすけ)が江戸時代中期に創始し、近藤勇が四代目宗家を継ぎました。 新選組が活躍したことで有名になった天然理心流は古武道の流派のひとつで、歳三も佐藤彦五郎の道場で身につけました。 新選組の強さは天然理心流の稽古のたまものといわれています。 キーワード3 日野に届けた思い 箱館戦争で死を悟った歳三。 自分を慕う若い隊士を道連れにしたくないと、自分の写真を遺品としてふるさと日野に届けるよう遣いに出し、 その隊士は戦死を免れたといわれます。 後半生は京都で活躍し全国を転戦した歳三でしたが、心には最後までふるさとへの思いがあったのでしょう。 キーワード4 モテ伝説 写真の通りイケメンだった歳三は、女性にモテモテ。 「モテ自慢」するおちゃめな一面も? 自分に思いを寄せる京都の芸妓の名前を書き連ね「モテすぎて困る」と記した、歳三のものとされる手紙が、 東京・町田市の小島資料館に残っています。 キーワード5 ぼたもち 京都から帰郷した歳三が慌ただしく親戚の家を訪ねたときのこと。 その家のおばあちゃんに「ぼたもちを食っていけ」と言われましたが、「急ぐから」と断ろうとしました。 すると「ぼたもちの一つも食べていけないようで戦に勝てるか」とおばあちゃん。 歳三はおばあちゃんに従い、ぼたもちを食べて行ったというエピソードも伝わっています。