◆歳三没後150年を迎えての今年の取り組み 市長 最後に、今年平成31年は、土方が箱館(函館)で亡くなってから150年の節目を迎えますが、 皆さまから一言お願いできればと思います。 土方 お話しいただいた通り今年は土方没後150年です。 できることならこの幕末の歴史を次の区切りとなる200年目まで語り継ぐお手伝いをさせていただけたらと思っています。 佐藤 今、150年の節目を迎え、一時期は、新選組を評価されずに語れない時もありましたが、 今は時代が変わり、新選組近藤・土方はヒーローとなり、皆さまの考えが少しずつ変わってきているのを感じます。 新選組のスタート地点が日野であるというのは、とても大きなことです。 この一年間、日野市の新選組を全力でPRできればと思っています。 微力ながらお手伝いさせていただきたいと思います。 井上 新選組のふるさと日野が全国に定着したのも、日野市のおかげと思っています。 幅広い年齢層のファンの方々が楽しんで、 私たちの3館や新選組のふるさと歴史館などさまざまな新選組に関する史跡めぐりができるように、協力していきたいと思っています。 よろしくお願いします。 市長 昨年は明治維新150年ということで国によるイベントも行われました。 ただ、幕末の出来事というものは各地域によって受け止め方が異なります。 新選組も一時期は賊軍と言われていました。 しかし、一方で史実の研究も進み、誠を貫く正義の味方でもあると言えます。 昨年、私は、会津若松や長岡に行ってまいりました。 それらの地域では戊辰150年と言っており、これを生かして、観光都市としてのまちづくりに取り組んでいます。 このことは日野市も学ぶべきと思います。 今後、本日お集まりの3館の資料館や行政が一つになって、土方歳三の情報を市の内外に発信し、多くのお客さまをお迎えしつつ、 日野市としての地域のアイデンティティーを醸成していきたいと思います。 また、日野市には土方歳三や新選組に関連した資料が数多く残されています。 このような歴史・文化にかかわる貴重な遺産を大切に保存・活用し、次世代に継承していきたいと思います。 今日はその思いを一層強くしました。 今年一年間、シティプロモーション活動を展開し、土方歳三の特別展の開催や新作能の上演などを行うほか、 新選組まつりも例年より内容を充実させ、盛大に行う計画です。 ぜひ、楽しみにしていただきたいと思います。 本日はありがとうございました。 ▼用語解説 ※1土方歳三 天保6(1835)年、現在の日野市石田に生まれる。 幕末動乱期に、京都で新選組副長として新選組を統括・指揮した。 明治2(1869)年、箱館(函館)で34歳の若さで戦死。墓は市内石田寺(せきでんじ)にある。 ※2井上源三郎 代々八王子千人同心を務めた家柄に生まれる。千人同心井上松五郎の弟。 幼少より剣を持ち、近所の佐藤彦五郎の道場に通い天然理心流を学ぶ。 土方と共に新選組に参加し、副長助勤六番隊長となる。 慶応4(1868)年の鳥羽・伏見の戦いで戦死。墓は市内宝泉寺にある。 ※3近藤勇 新選組局長。天保5(1834)年に多摩(調布市)の農家に生まれる。 当時通った天然理心流道場・試衛館で腕を認められ、師である近藤周助の養子となる。明治元(1868)年板橋刑場で斬首。 ※4佐藤彦五郎 日野宿問屋・日野本郷名主を若年から務める。 土方歳三の姉と結婚。邸内に天然理心流道場を設け、土方歳三、井上源三郎らと稽古に励む。 新選組の物心両面からの支援者だった。墓は市内大昌寺にある。 ※5沖田総司 4歳から9歳まで日野で暮らす。幼年期より天然理心流を学ぶ。その後試衛館に入門、近藤周助の内弟子となる。 20歳の時には、すでに免許皆伝し、新選組一番隊長に任命される。 明治元(1868)年、20歳代の若さで病死する。 ※6日野宿本陣 都内で唯一現存する、江戸時代に建てられた本陣建物で、日野の名主・佐藤彦五郎の邸宅であった。 また邸内に道場があり土方歳三らが剣術に励んでいた。 ※7山南敬助 天保4(1833)年生まれ。 北辰一刀流・千葉周作の門人であったが、他流試合で近藤勇に負けて以来、試衛館に出入りするようになる。 新選組ではナンバー3となる総長を務めるが、後に新選組を脱走し、32歳で切腹。 ※8市村鉄之助 市村鉄之助は土方歳三の小姓。 歳三の命で箱館(函館)を脱出し、明治2(1869)年7月から数年にわたり佐藤彦五郎の屋敷(日野宿本陣)でかくまわれたとされる。 歳三の写真を届けた人物と伝えられる。 ※9天然理心流 江戸時代後期に近藤内蔵之助(こんどうくらのすけ)により創始され、当初は剣術のほか柔術・棒術・気合術から成る総合武術だった。 宗家を継いだ近藤勇をはじめ、新選組の幹部が修めていた。