◆土方歳三~新選組のふるさと日野ならではのエピソード 市長 皆さまは、いずれも土方歳三や新選組とゆかりの深い方々ですが、 それぞれのお宅では、土方歳三はどのような人物として語り継がれてきたのでしょうか。 「土方歳三のふるさと」ならではの逸話などがありましたらお聞かせください。 佐藤 この新春対談が日野宿本陣※6で行われたというのは、彦五郎が皆さまを呼んだのではないかという気がしています。 佐藤彦五郎邸でもあった日野宿本陣は、新選組にとてもゆかりのある場所です。 佐藤道場があったのはもちろんですが、近藤周助や勇、沖田総司、山南敬助※7などが出張稽古にやってきた。 まさに新選組出会いのきっかけになった場所です。 また、土方の命を受けた市村鉄之助がここに住んだりしたこともありました※8。 佐藤家には、京都時代の厳しい歳三ではない意外な一面が垣間見えるエピソードが伝わっています。 それは、餅つきのお話です。 佐藤家は12月28日に毎年餅つきを行っていました。 その時、ちょうど剣術の稽古日で、屋敷の台所が騒がしい。 近藤が何をやっているか見に行くと、家の者たちが餅つきの準備をしている。 近藤が「俺に餅をつかせろ」といって杵を持った姿が、大上段から刀を振り下ろすようでうまくつけなかった。 しかし、歳三はいつものごとくおどけながら餅をついたと。 これは、とても面白い話だと思っています。 土方 土方歳三というと、鬼の副長を連想されると思いますが、ふるさとに残っているどの話も、人間味あふれるものが多いです。 歳三は熱いお風呂が好きで、甥っ子・作助と一緒にお風呂に入った時も、作助がこんな熱いお風呂には入れないと言ったら、 庭じゅう追いかけまわして「男子たるものこれぐらいの湯に入れなくてどうする」と言って湯船に沈めたという、 鬼の副長なのだけれど、ほのぼのとしたエピソードが残っています。 また、病気がちの姪っ子のために京都から、お土産にかんざしを携えてきたりとか、 人に対して気配りの利く優しいエピソードも残っています。 この地で育って生きてきた歳三の人間味あふれる話に触れられるのも、この日野の地ならではと思います。 井上 私は、近藤勇、土方歳三、井上源三郎、沖田総司などが本来修練した剣術・天然理心流※9を後世に伝えるために、 「天然理心流日野道場」を設立しました。 各地で演武を行いますが、今では新選組のふるさと日野から来ましたと言うと、どなたにも納得していただけるようになりました。 京都・東京・会津・函館と、新選組のお祭りも各地で行われています。 全国には、たくさんの新選組ファンがいらっしゃいます。 井上源三郎は、新選組の副長助勤でした。 そのため常に土方と行動を共にし、池田屋事件でも一緒に戦っています。 土方と共に、新選組隊士二次募集のため、江戸から二人馬に乗り日野に着くと 「新選組が来た」とまちの人々が逃げたというエピソードが残っています。 それだけ、新選組という名前が、関東にも知れ渡っていたということが分かります。 源三郎は近藤勇の兄弟弟子で、近藤のお目付け役になります。 また源三郎の兄・松五郎は八王子千人同心を務め、十四代将軍家茂の警護のため上洛しました。 彼が近くにいたために近藤たちは新選組を作りやすかったのではないかと伝えられています。 市長 「井上松五郎日記」を読みますと、松五郎、源三郎、歳三は、よく一緒にお酒を飲んだり、お花見したりと、 いろいろな場所に出掛けていたようですね。 当時の方のそんな楽しみも井上源三郎資料館の資料から見ていただけると思います。 ◆土方歳三の魅力とは 佐藤 日野においでになる方や新選組のファンに伺うと、土方歳三の人気は断然トップです。 歳三のどこに魅力を感じるのか伺うと、彼は34歳で亡くなっていますが、その短い間、本当に命を燃やして自分の信念を貫いた。 今の男の人に求めることは難しいです。 加えて、凛々しい土方像というのがすでに確立していますね。 私たちは、皆さまに書簡を見て判断していただくことしかできませんけれど、 皆さまがおのおのの土方像を思い描き、日野においでくださるのかなと思います。 井上 歳三は、京都から箱館(函館)まで、新選組の気持・武士道精神を貫きました。 また、土方を慕ってくる素晴らしいメンバーもそろっていました。 近藤勇は板橋で処刑されてしまいましたが、土方は敵に向かって最期まで戦い抜きました。 ここはやはり男のロマンを感じます。 ルックスもいいし、人を引き付ける魅力、持って生まれたものがあるような気がします。 最後の戦いの時まで、常に新選組の中心には歳三がいたと言えると思います。 土方 歳三は、私のご先祖さまですが、彼を人として見直してみますと、 私欲にまみれずに、最後まで信念を貫いたところが現代の人から見ると、とても自由に映るんだと感じます。 今の世の中、どっちが損かどっちが得かと、 絶えず判断して有利な方の道を進まなければならないということが求められていると思います。 自分の信じる道を突き進めた歳三がうらやましく感じられるのかなと思います。 市長 まずはハンサムですよね。 あと非常に戦略家。 それから会津に行き、榎本武揚と共に箱館(函館)で最期まで戦い続けて幕末の歴史の中に新選組の痕跡を刻み込んだ。 その変遷が非常に魅力的で、最期まで戦い、志を貫く。 まさに新選組の象徴だったと感じています。 佐藤 歳三は非常に頭の切り替えが早い人でした。 鳥羽・伏見の戦いで敗れた時、これからは槍や刀の時代ではなく鉄砲だと、兵隊に鉄砲を買ったりした。 最期の時まで隊士が歳三についていったというのも、彼の心根が素晴らしかったからだと思いますね。 〈6ページにつづく〉 土方愛さん(土方歳三資料館館長) 《写真あり》 土方歳三資料館 石田2丁目1番地の3 [ホームページ]hijikata-toshizo.jp [開館日]第1・第3日曜日12時0分~16時0分 ※平日は応相談。詳細はホームページ参照 [入館料]大人500円、小・中学生300円 井上雅雄さん(井上源三郎資料館館長) 《写真あり》 井上源三郎資料館 日野本町4丁目11番地の12 [電話番号]042・581・3957 [開館日]第1・第3日曜日12時0分~16時0分 ※平日は応相談 [入館料]大人500円、小・中学生300円 佐藤福子さん(佐藤彦五郎新選組資料館館長) 《写真あり》 佐藤彦五郎新選組資料館 日野本町2丁目15番地の5 [電話番号]042・581・0370 [開館日]第1・第3日曜日11時0分~16時0分 ※平日は応相談 [入館料]大人500円、小・中学生300円