新春対談 パラバドミントン 山崎悠麻さんを迎えて ■プロフィール 山崎(やまざき)悠麻(ゆま)さん 昭和63年4月8日生まれ。29歳。南平在住 小学2年生でバドミントンを始める。高校1年生の時、交通事故で両足ひざ下の機能を失い車いすの生活になる。 しばらくバドミントンから離れるが、平成25年東京国体の車いすバドミントンの観戦をきっかけに競技を再開。 平成29年9月、日本で行われた初の国際大会「ヒューリック・ダイハツJAPANパラバドミントン国際大会2017」において 世界ランキング1位の選手を破り、女子シングルス(車いす)で優勝。 12月の国内大会「第3回ダイハツ日本障がい者バドミントン選手権大会」において、女子シングルス(車いす)で3年連続の優勝。 現在、NTT都市開発(株)に勤務。5歳・3歳の男の子と夫の4人家族。東京アスリート認定選手 あけましておめでとうございます。 今年の市長新春対談は、市内南平在住のパラバドミントン選手・山崎悠麻さんをお迎えし、 2020年に開催される東京2020パラリンピック出場を目指すアスリートとしての日々の取り組み、 また、仕事を持ちつつ、妻・母親として仕事と家庭を両立させながらの日常についてお話しいただきました(文中敬称略)。 [お問い合わせ]市長公室広報担当(電話番号042・514・8092) ◆再びバドミントンに出会って 市長「バドミントンと出会ったきっかけや、また、どのような経緯でパラバドミントンを始めたのですか。」 山崎「友達のお母さんがバドミントンをやっていて、小学2年生の時に、友達がバドミントンを始めるに当たり私も一緒に始めました。 中学生になると、全国大会に行けるような指導をしてくださる先生と出会い、3年間鍛えていただきました。 戦歴としては、小学生の時には全国大会に、中学生の時は東京都3位で関東大会に出場しています。 しかし高校1年生で車いすになり、バドミントンから離れていたのですが、 平成25年に町田市で東京国体のパラバドミントンの大会を見て、 さらに、偶然出会った、子育てしながらパラバドミントンをやっている選手と話をして、 そこから10年ぶりに再びバドミントンを始めました。 途中、出産などがあり、平成28年から本格的に始めました。 同年の世界選手権でシングルスベスト8に入り、平成29年9月に国際大会が日本で初めて開催され、そこで優勝しました。」 市長「今は南平にお住まいとのことですが、日野市内で練習をしているのですね。」 山崎「競技に専念するために、日野市に拠点を持ちたいと思い、市に相談して、市民の森ふれあいホールを週2回使用しています。」 市長「ふれあいホールをそのように使っていただけるのはありがたいです。 市内には南平体育館もあり、オリンピック・パラリンピックに向けて、新体育館の建替えを目指して計画を進めているところです。 ぜひ、そちらも使ってください。」 山崎「南平体育館は大変近いのでありがたいです。」 市長「ふれあいホールは使ってみていかがですか?」 山崎「とても使いやすく、快適に練習させてもらっています。 フラットですし、お手洗いもきれいで、その横に『車いす用シャワー室があるのはすごい。ほかにはあまりないね』と、 一緒にやっているメンバーとも話しています。」 市長「練習スケジュールはどのようにしていらっしゃるのですか。」 山崎「今は週3回練習しています。 終日練習している日は、午前中に車いすの選手と練習をし、 午後には、コーチに指導を受けながらショットの練習や、体の使い方を見てもらっています。 それ以外にも、フィジカルトレーニングの先生がついて、インナーマッスルの強化と体幹トレーニングを行っています。 その先生も元バドミントンプレーヤーだったので、 試合中の動きを想定しながらどの筋肉を強化すればいいかということを調整しています。」 市長「車いすでのバドミントンをやってみて、健常の時との違いはどんなところにありますか。」 山崎「ラケットを振る高さが違うので、角度をつけることが難しいです。 また、ラケットを振るタイミングも違うので、初めはラケットの一番いいところに当てられなかったです。 それに、車いすを動かしながらというのが難しく、その強化を今は重点的にやっています。」 ◆さまざまな人が認め合って共生できるまちに 市長「日野市についての感想をうかがえますか。」 山崎「平成28年の4月に南平へ引っ越してきましたが、家の近くに二つ公園があり、川もあって、自然環境が豊かで、 子供を連れて行ってあげられるようになったのがとてもいいと感じています。 ここでは公園の中に小さな川があったりして、 子供たちは、水に葉っぱを流すような遊びでも、ここに来るまではやったことがなくて、すごく楽しそうにしています。 夫も子供と一緒に遊びに行っています。」 市長「自然の豊かさは、日野市の特徴の一つですね。 また、市では、平成21年に『日野市ユニバーサルデザイン推進条例』を施行しました。 それを受けてユニバーサルデザインまちづくり推進協議会を作って、まちづくりを推進していくという体制を整えましたが、 車いすを利用する方、聴覚障害や視覚障害のある方が移動しやすい、活動しやすいという街を作るのは、 簡単ではないなと思っています。 というのは、ご存じのように街ができ上がっているので、新しいものを作る場合には初めからそういう視点で作ることができますが、 例えば狭い道路を広げようがないところがある、それをユニバーサルデザインの視点で改修するというのは なかなか大変ですし難しい、時間とお金がかかるということがあります。 ただ、ユニバーサルデザインと言った場合、ハード面についてだけでなく、『心のバリアフリー』ということもあります。 これは、障害のある方への差別や偏見をなくし、寄り添ってサポートしていく、という観点ですね。 これを突き詰めていけば、多様性(ダイバーシティ)、それから社会的包摂につながっていくと思います。 障害の有無、また今はLGBTも話題になっていますが、それも一つの個性ですから、 お互いに違いを認め合って、共に生きる、共生するという観点が必要だと思います。 社会の一員としてお互いに支えあって、だれもが支援を受けられる、そんな社会的包摂が必要だろうと思います。 だから、ハード面の整備に加えて、そういう視点での施策を進めていきたいと思っています。 山崎さんにもその目で街を見ていただいて、『ここはこうしたらいいのでは』ということを言っていただけるといいですね。」 山崎「ハード面に関して言えば、南平体育館ではスロープがなく2階に上がれないことはありました。 そういう点で、ふれあいホールのように新しいものはハード面がきれいになっていて、整備しているというお話はよく分かります。 ソフト面の心のバリアフリーということに関しては、特に車いすでいることで何か嫌なことがあったかと言えば、本当にないのです。 例えばスーパーに行ったとき、だいたい周りの方たちはお手伝いしてくださいます。 『ドアを開けておきましょうか』というのもその一つですよね。 そういった部分で、配慮していただくことが本当に今は増えているし、今後もっと増えていけばいいなと思います。」 市長「平成28年4月に障害者差別解消法が施行され、日野市は、それを受けて『日野市障害者差別解消基本方針』を策定しました。 その中に市の責務や事業者の責務などをうたい、法の目的を推進しようとしています。 それに併せて日野市職員の障害者に対する対応要領を作り、 さらにこれから2年間をかけて条例化に向けた作業を現在進めているところです。 ただ、全ての人の意識を変えていくのは大変です。そこを何とかしていきたいと思います。 また、条例化では、行政の対応はもちろんなのですが、 民間レベルで、例えば、山崎さんが車いすでお店に入ろうとして入店を断られるとか、そういうことが起きた場合、 市が間に入って解決するというような仕組みを作るのが一番のポイントかと考えています。 今後条例を作る場合、障害者の皆さまを交えて素案を作っていきますので、ご意見をいただければと思います。」 ◆やりがい、生きがい、使命感を持って働く 市長「昨年から、新しい職場になったということですが。」 山崎「昨年10月から、NTT都市開発株式会社に勤務しています。 試合などで遠征も多いのですが、原則週2日会社で勤務しています。 社内に向け、大会のレポートや活動報告などを行い、会社の活性化を推進する役割を担っています。 そのほかには小学校などに赴き、子供たちにパラリンピック競技を披露し、間近に見てもらったりしています。」 市長「働くというのは、収入を得るという目的もありますが、やりがいのあることをやっていくのが一番大切だと思っています。 今、日本人の長い労働時間や生産性の低さということが問題になっています。 仕事の質を上げるには、ただ時間を短くするだけではなく、やりがいとかモチベーションが大切と思っています。 山崎さんのお話を伺っていて、やりがい・生きがい・使命感などを感じ、大変うらやましいと思いますし、 そういう働き方ができれば一番良いと思います。」 ◆みんなが笑って生活できる世の中に 市長「山崎さんは、現在2人のお子さんのお母さんですが、日々どのようにお過ごしですか。」 山崎「天秤にかけるのは難しいですが、子供が一番、アスリートが二番です。 でも、アスリートとして活動している間は、どうしても子供と接する時間が短くなってしまいます。 遠征に行くと1週間から10日ほど家を空けてしまうので、子供と一緒に居られる時間は、一つ一つ大切にしています。 手作りのご飯でないといけないとか、家がピカピカでなければいけないということは思っていません。 外食しても笑って一緒にご飯を食べることができればいいし、 子供と公園に行ったり、子供たちと笑って一緒の時間を増やして楽しい思い出を増やそうと思っています。」 市長「パートナーのサポートなどはありますか。」 山崎「夫には子供たちのお風呂や寝かしつけをやってもらっています。 私はご飯を食べさせるところまで、そこから先は夫がしてくれます。そういった部分では、ずいぶん助けられています。」 市長「今は、共働きの人も増えています。子育てに関する環境をどう整えていくかというのも、自治体の課題ですね。 保育園の入園に関する問題など、さまざまな面で環境が不十分という方もいらっしゃるでしょう。 そういうところは、真摯に受け止めていきたいと思います。 山崎さん、将来に向けて、どんな社会になって欲しいと感じていますか。」 山崎「まず、一番は、みんなが笑って生活できる世の中になって欲しいと感じています。 私は、自分の人生の中で笑いがない、頑張り過ぎていっぱいいっぱいになってしまうのなら、 一回それをやめて、自分が笑える形に変えればいいのではないかと思っています。 今、子供が保育園に入れない方は深刻ですし、世の中の仕組みをいっぺんに変えるのは難しいでしょうが、 一つずつ優先順位をつけて問題を解決し、一つずつ世の中の環境が良くなっていけばいいと思います。」 ◆東京2020パラリンピック出場を目指してしっかり成績を残す 山崎「パラバドミントンは、すでに東京2020パラリンピックの正式種目になっていますが、 昨年9月にその中の実施種目が決まり、私が出場できる種目ではシングルスと女子ダブルスが決まりました。 全部で14種目90人が出場する見込みですが、まだ、各種目の出場人数は決まっていません。 たぶん、女子シングルスの選出は5~6人です。出場する権利を得るために、まずその5~6人に入ることを第一目標にしています。 もし、複数種目の出場が可能なら、ダブルスも視野に入れていきたいと思っています。 その前段階で、世界選手権やアジアパラリンピックがあるので、そこでメダルを取り、 しっかり成績を残していくというのが目標です。」 市長「オリンピック・パラリンピックの選考は、どのように決まるのですか。」 山崎「パラバドミントンは、ポイント制です。 それぞれ大会ごとにポイントが定められていて、 アジア大会など年1回の地域大会は通常の世界各国で行われている大会に比べて1.5倍、世界選手権は2倍のポイントになります。 年に1回ある大きな大会で優勝などをすると点数が多く獲得でき、世界ランクが上がりやすくなります。 選考の際に世界ランクの何位以内というのが基準としてうたわれると思うので、大きな試合で勝つことが大切になってきます。」 市長「では、ポイントを稼がなければいけないですね。」 山崎「私は、10月のアメリカ大会で優勝したことで、世界ランキングで3位になっています。 その後の大会のポイントによってはさらに変更される予定です。 日本女子は、世界ランキングがだんだん上がってきて、トップ10に現在2人が入っています。」 市長「昨年世界ランキング1位の選手を破っていますね。」 山崎「中国は選手層が厚く、ものすごく強い選手がいます。日本の選手がそれにどう戦っていけるかになります。」 市長「シャトルはどのぐらいの速さなのですか。」 山崎「私たちは時速200キロ弱です。男子は健常の方だと500キロぐらいの記録はあります。」 市長「車いすの操作をしながらですよね。」 山崎「競技用の車いすは一般の車いすより軽く、車輪が開いて付いていて、接地面が少なく、 車輪の回転が速くなるように設計されています。」 市長「パラバドミントンと一般との違いはどんなことがありますか。」 山崎「パラバドミントンのコートは一般のコートの半分を使いますが、 それでも、四隅が狙われますので、かなりの移動距離があります。 ダブルスは一般のコートと同じですが、車いすであまりネット際に近づくと危ないのでネット際に落とすのはアウトになります。 一般のバドミントンと若干の違いはあります。」 市長「先ほどインナーマッスルを鍛えるとおっしゃっていましたが、体はどのように使うのですか。」 山崎「上半身と体幹は、非常に重要です。体をそらせ、それを戻す動きの大きさでシャトルの勢いをつけます。 相手の位置などを見ながら、瞬時にシャトルを打つ位置・速さ・球筋を考える。結構頭を使う競技です。」 市長「神業としか言いようがないですね。」 ◆将来に引き継ぐオリンピック・パラリンピックレガシーを 市長「日野市は競技場の建設などはありませんが、ソフト面のレガシーを作れたらいいと思っています。 すでにオリンピック・パラリンピック気運醸成事業で小・中学校の子供たちのところに一流のアスリートに来ていただいていますが、 そういう人たちとのスポーツ体験は子供たちの心と体に残るだろうと思います。 また、大会が始まると、多くの方がボランティアで関わると思いますが、 海外から訪れるさまざまな国の方々と接してお話やおもてなしをするなど新しい関係を作ることが、 日野市の産業や観光・文化に大きな影響を与えると思います。 それを良い形で将来に引き継いでいければと思います。 また、今、私が強く思っているのがパラスポーツの競技環境をどう整えていくのかということです。 現在の日本の状況は、諸外国に比べ非常に劣っていると思います。 それを整備し、レガシーにしていかなくてはならないと思います。」 ◆今年はどんな年に 市長「今年はどんな目標を立てていますか?」 山崎「今年はアジアパラリンピックが開催されます。これも4年に一度の大会で、パラリンピックのアジア版です。 まずは、そこで活躍できることを目指してメダルを取れるよう一つずつ頑張っていきたいと思います。 またアジアパラリンピックの前に日本で開催される国際大会があります。 前回この大会に優勝しましたが、これも重要な大会で二連覇したいと思っています。 さらに大会以前にしなければならないことは体作りです。体作りは大変時間がかかります。 寒い時期はけがをしやすいので、けがをしないように、体作りをしなくてはと考えています。」 市長「私は、今年、四つの柱を立てていきたいと考えています。 一つ目は、先ほどの障害者差別解消推進のための条例の作成、 二つ目は政策面で、子供の貧困対策、公契約条例策定、LGBTの理解推進を行いたいと思います。 三つ目としては、2025年に高齢化のピークを迎えますが、 その時に向けて、在宅療養を支える組織としての地域包括ケアをどう作っていくかが課題です。 そして、多世代が共生しお互いに住み替えをするようなモデルを多摩平、高幡台団地、平山の地域に作り 『生涯活躍のまちビジョン』を推進していきたいと考えています。 そして最後に子育て支援に力を入れていきたいと思っています。 保育園の待機児をゼロに近づけること、 また、子供のいじめ・虐待を防ぎ、子供たちの健全な育成をするための子育て世代包括支援センターという構想があり、 それを進めていきたいと思います。 他の市長さんなどから、自分のまちからオリンピック・パラリンピックの選手が出場し活躍する話をうらやましく聞いていました。 ぜひ今後も日野市からオリンピックやパラリンピックで活躍するような選手がたくさん誕生してくれたらと思います。 今日お会いできたことは、本当にうれしいです。ぜひ、頑張ってください。 次は、パラリンピック出場のお祝いでお会いしたいです。出場の際には、日野市民みんなで応援したいと思います。」 山崎「ありがとうございます。頑張ります。」 市長「ありがとうございました。」