自治に親しみ自治を楽しむ 市長新春対談 法政大学デザイン工学部教授 陣内秀信氏を迎えて 明けましておめでとうございます 皆さま、希望を胸に新年をお迎えのことと思います。今年の市長新春対談には、法政大学教授・陣内秀信氏をお迎えし、これからの まちづくりのあり方、将来の展望などを語り合っていただきました(文中敬称略)。 問合せ先:市長公室広報担当 プロフィール 陣内秀信(じんないひでのぶ)氏 昭和22年福岡県生まれ。昭和48〜50年イタリア政府給費留学生としてベネチア建築大学に留学、翌年ユネスコのローマ センターに留学。帰国後、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。現在、法政大学デザイン工学部教授。法政大学エコ地域 デザイン研究所所長。 イタリアを中心に、イスラム圏を含む地中海世界の都市研究・調査を行う。また、東京などの日本の都市に比較の視点を入れて 研究し、今後のまちづくりについても提言している。 著書に『東京の空間人類学』、『東京』、『イタリア海洋都市の精神』など。 農業と用水路を生かすまちづくり 市長 新年明けましておめでとうございます。 陣内 おめでとうございます。 市長 平成18年に、先生が所長を務める法政大学エコ地域デザイン研究所が、日野市に注目し、用水路と周辺環境を研究テーマに 「日野プロジェクト」を始められた。それが発展し、平成21年から現在に至り、法政大学と日野市が協力し、長期的な視野でまち づくりの施策立案などについて研究する「水の郷 日野地域再生協力事業」を行っています。 戦後の近代化で農地は急速に失われてしまいました。しかし、成熟社会を迎え、身のまわりの環境、文化に目が向き、再び農業や 水田などが見直されています。私もそして市民も自然豊かな環境を有効活用したまちづくりをしようと思い始めていました。そんな 時、先生が日野市に関心を持ってくれた。このことは大変励みになっています。 陣内 私たちは、これまで近代化、都市化、便利さを追い求めてきました。しかし、21世紀はもう違う。本当に豊かで質の高い 生活環境をどうしたら作れるかを研究しています。 特に、私たちは歴史とエコロジー、水辺環境、水のある都市・地域に注目して研究しています。 日本の生活環境は水と密接に結びついて成り立っています。ところが近代になると、水の大切さを忘れ、水辺を汚し、用水路は 汚れが見えないようにふたをしてしまった。 市長 私が就任した平成9年ごろは、この地で農業はもう無理だと感じていました。 しかし、新しく日野市に住んだ人々から、これ以上農地を失くすと、この地域の良さがなくなるねと言われたことがあり、まち づくりの中に自然を生かす視点を取り入れていく必要があると感じました。 以前の区画整理事業は、農地を潰し碁盤の目のように街区を作る。農地は市街化予定地としてしか見ていませんでした。でも今は 違う。農の風景・川の風景などを残しながらまち並みを作らないと、とても窮屈なまちになるのではと思います。 まちの価値が分かれば誇りが持てる 陣内 私はこれまでイタリアの都市研究をしてきました。イタリアは、ヨーロッパの中では後進的で、産業革命や近代化から遅れた。 しかし結果的に、21世紀に必要な農業的資産がいっぱい残り、その良さが注目され、スローフード(注1)のような動きが出て きました。 そういう意味では、イタリアと状況が似ている日野市は良いポジションにいると思います。 80年代、ヨーロッパでは田園に価値を見いだしました。例えばフランス南西部のプロバンスブーム。その田舎生活が先進国の 大都市の人々の心に非常に響いた。そしてその後のイタリア中部のトスカーナブーム。この地域は後進的で過疎のまちですが農業 ゾーンの価値を見いだし、農村の景観を守る法律が作られました。そういう動きを見て、都心ばかりでなく、都市と田園が交流する ような郊外に注目すべきだと思いました。 日野市は都心から近いのに農業ゾーンがあり、用水路を張り巡らせた素晴らしい水の風景があり、歴史・文化があり、私の探して いた研究条件に合っていました。 市長 日野市は、昭和30年代までたくさんお米を作っていました。農業・水田・用水路、これがまちの原風景でした。 ところがその風景が当たり前すぎて、その価値が分からず土地開発の波が来た時に、この環境を少しぐらい潰してもいいと思って しまった。 しかし、ようやく考えが変わり、何百年もの歴史のある用水路を守り、良い環境は残さなければと考えるようになった。 陣内 日野市では、かなり以前から、行政も市民の皆さんも環境の重要性に気付き、条例(平成7年環境基本条例、平成10年農業 基本条例)を作っていました。 【用語解説】 注1 スローフード…その土地の伝統的な食文化や食材を見直す運動、またその食品。 <2面へ>